満蒙独立運動4 陸軍将校の関わり
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/21 18:29 投稿番号: [417 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
82p
《清国で北洋軍官学校の教官を務めていた人物に多賀宗之(少佐)がいる。
多賀は革命勃発まもなくの明治四十四年十一月四日訓令により清国内の、
それも 「満人に関する情報を蒐集 (しゅうしゅう)」 して報告することになった。
もう一つの任務は、川島浪速と気脈を通じて清朝内等の内情を偵知することだった。
ここに陸軍と川島の満蒙独立運動の接点が出来上がった。》
83p
《明治四十五年一月三十日北京の高山公道大佐は福島次長に電報を送り、
喀喇沁王との借款も進行しており、「蒙古挙兵の実行は着々共進歩を進め」 と
武装蜂起の可能性を示唆する動きを知らせてきた。
このため参謀本部では、二月守田利遠 (としとお) 少佐らを蒙古地方へ派遣、さらに
高山大佐には奉天に駐在して亡命した清国皇族の動向を調査することが命じられた。》
85〜86p
《二月十四日長谷川好道 (よしみち) 参謀総長は多賀に次のような訓令を指示した。
(1) 北京若しくは承徳府に位置して内蒙古に関する情報を蒐集 (しゅうしゅう) すること
(2) 各武官、関東都府、在四平街の守田大佐、在奉天の高山大佐と連絡を保持すること
(3) 田口暢 (ちょう) 大尉、松井清助大尉、木村直人大尉を貴官の指揮に属すること
まさしく満蒙挙事工作の真只中に多賀は入ることになった。
十七日多賀は宇都宮少将への電報で、蒙古の馬賊の頭二人に
「金を与へて信用せしめ且つ恩を着せ置くは将来実行の為め必要」 で、
一千円を送付して欲しいと送った。
蒙古の各王が北京から避難するという名目で退去させ、
満州の地で彼らに資金や武器などを支給すること、
また三月十三日多賀に対し、旅順での武器の陸揚げは
「世人の疑惑を深く」 するということで大連陸揚げが決まった。
三月十三日喀喇沁 (カラチン)、巴林 (パリン) 王は、松井、木村の両大尉が
同行して北京を出発した。
これを察知した袁世凱は関係者を通じて多賀に接触してきたが、多賀ははぐらかした。
ともかく多賀の働きで喀喇沁と巴林との間に秘密の借款は成立、
それを見てから北京を脱出させた。
金額は合計十一万円で、三万円は参謀本部からの資金であるが、
八万円が何と外務省だった。外務省も関わっていたのである。
一方、張作霖側もこうした動向には疑問だった。
いったい 「日本の意思は果して何れにあるや」 と問うほどだった。
すでに満州に勢力を持っている張作霖にとって単なる亡命であれば
擁護する立場にもなりえた。
だが、謀略的活動となると日本側に不信を持っても不思議ではなかったのである。》
つづく
これは メッセージ 415 (kireigotowadame さん)への返信です.
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