満蒙独立運動3 川島の支那分割論
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/20 18:33 投稿番号: [415 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
79p
《川島は、南北妥協に反対だった。しかし、清朝を残すためには
革命勢力の強い中国の南方を分離する方が得策だった。》
78p
《清朝のパワーダウンを熟知する川島は清国の民政部顧問だった旧知の宮島大八への
電報(「竹下勇文書」十一月十日)で、日本が覇権を確立するためには
満州東部蒙古を占領すべきであること、
それには、まさに崩壊しようとする清朝を
「我が力にて扶掖」 して、黄河以北三国を独立させ、以南は革命国家の
自由行動に一任することで平和を回複することが列国の利益と断定していた。
ましてや中国人は 「強勢なる威圧なくては到底制御すべからざる性質なることを覚悟」
すべきで、革命党に対して 「無意義の同情を表する如き道楽して居る時に非ず」 と結んでいる。
現状の中国に落胆しつつも、中国分割やむなしということである。
革命が 「道楽」 とは手厳しいが、川島にとって孫文の革命などは問題外だった。》
80
《一方、清朝の忠臣ともいうべき良弼 (りょうひつ)、鉄良 (てつりょう) らは
親王たちと連絡を取りあい、清朝の・命脈を支えるため宗社党を組織した。
喀喇沁 (カラチン) 王などは最後まで皇帝退位に反対だったが、
ほどなく宗社党の中心的人物の一人良弼が爆殺され、彼らは極度の恐怖に陥った。
彼らが川島を頼りとするのも不思議ではなかった。
十二月六日川島は福島次長を通じて横浜正金銀行から二万両の借款を
喀喇沁王に与えるべく依頼、二十三日政府の承諾を得て横浜正金銀行の
北京支店から銀二万両が出された。軍資金はこうして整った。
明治四十五年一月二十二日参謀本部へ電報を送り、「此の袁と孫との
八百長的芝居を打破せざれば我帝国は非常なる不利に陥る」 とまで述べた》
81p
《川島は日本政府を通じて関東都督府に訓令して便宜と援助を与えるよう
「配慮」 ありたいと依頼するのである。
すでに喀喇沁王に対し三万発の弾薬を二十九日に送り、
川島と同王との密約や借款証書をかわし挙兵の準備は進んでいた。
だが、参謀本部としても露骨な日本人の介入は回避したかった。それを理解していた
川島は表面はどこまでも宗社党関係者の自由な行動にすることで水面下で行動していた
・・・
皇帝退位は明治四十五 (一九一二) 年二月二日夜決定し、
川島はかねての計画どおり粛親王を北京から脱出させた。
・・・
粛親王が落ちのびた満州はどうだったのだろうか。
すでに革命党や馬賊や匪賊が入り乱れていた。》
つづく
*
川島は 「日本が覇権を確立するためには満州東部蒙古を占領すべき」 と
言っていますが、これはあくまでも、「清朝を残す」 ための手段であって、
別に「日本が盗れ!」 と言っているわけではありません。
これは メッセージ 414 (kireigotowadame さん)への返信です.
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