満洲に於ける中国の日本人迫害5
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/14 18:50 投稿番号: [406 / 2250]
中村震太郎大尉殺害事件
臼井勝美著 『満洲事変 戦争と外交と』 中公新書
31p
《万宝山事件にひきつづき、幣原外相は中村大尉殺害事件を処理しなければならなかった。
中村震太郎大尉は参謀本部の部員で、対ソ作戦の兵要地誌作成のため、
ひそかに興安嶺方面の偵察任務につき、トウ南、索倫の中間地で、
中国軍 (第三屯墾軍) により、六月二十七日殺害された。
東三省側は、中村大尉殺害を否認していたが、石原参謀と奉天特務機関の
花谷 (正) 少佐は、八月二日林総領事を訪れ、中村大尉の殺害はほぼ確実であり、
このうえ交渉が遷延するときは、いたずらに中国側に証拠湮滅の機会を
与えるにすぎないと、関東軍の交渉方針を伝え、林総領事の同意を求めた。・・・
32p
関東軍参謀部は実力捜査を決意し、四平街に装甲列車や歩兵砲兵連合部隊を準備した。
・・・
関東軍は中村事件対処方針を陸軍省に上申した。
33〜34p
林総領事は、十七日臧 (ぞう)(式毅) 遼寧省政府主席を訪問、軍側が相当昂奪
しているので、すみやかに事件を解決する必要がある旨を申し入れた。
臧主席は、いかなる事情があったとしても、地方軍隊が勝手に外国人を
殺害するのはすこぶる不都合なので、参謀長栄臻 (えいしん) と計って、
適当な人物を至急現地調査のため派遣すると答えた。
しかし、中国側の調査がはかばかしく進行しないのを見た林総領事は、
九月四日、省長公署で臧主席、栄臻謀長と会見、
もし中国が本件の処理を回避するような場合、国交上重大な影響を生ずるおそれが
ある旨を告げ、屯墾軍の関団長を奉天に召還するよう示唆した。
このころ中国側新聞は、さかんに中村大尉殺害事件は無根であるとの報道を載せ、
王 (正延) 外交部長も中村事件はまったく事実無根で、
満州には好んで事を構える不良ごろつき日本人が多いので、
おそらくこの連中が捏造した宣伝であると言明したため
(南京、千原特派員発 『朝日』 九月六日)、
南陸相等をはじめ軍関係者はいよいよ態度を硬化させた。
満州を視察して帰った政友会の森 (恪) 代議士らも、八月三十一日党関係の会合で、
満蒙では日中官民が無気味に対立し、
「ある意味においては事実上交戦直前の状態であるとも云へる」 と報告した。
菱刈 (隆) 大将に代わって新たに関東軍司令官となった本庄 (繁) 中将は、
八月二十日、旅順に到着したが、九月三日の多門 (二郎) 駐剳師団長、
森 (連) 独立守備隊司令官との会談で、今後さらに不祥事の発生が予想され、
「此の如くして最後の解決の時期近づきつゝあるを思はしむるものあり」 と述べた。
事態の重大化を認識した栄臻参謀長は、九月十八日ようやく
中村大尉殺害の事実を全面的に承認するにいたった。
栄臻参謀長の調査では、中村、井杉 (延太郎、同行した日本人) と露国人 (中国籍)、
蒙古人の一行四名は、六月二十五日昼、騎馬で西北方より蘇鄂 (そがく) 公府に到着し、
第三団の取調べを受けていたが、中村は軍事探偵であることが発覚し、
生命に危険の及ぶのを恐れたためか、
二十七日、夜陰に乗じ一行とともに逃亡し、
追跡を受け抵抗したので射殺されたというのであった。
東三省側がようやく中村大尉の殺害を認めたため、交渉は次の段階に移ろうとしたが、
この日夜十時過ぎ、柳条湖事件の勃発をみるのである。》
* かくして事態は満洲事変へと発展して行くのであります。
満洲事変は関東軍が起こした事になっていますが、
この事態の流れから見ると何か不自然な気もしますね。
中国側が殺害を認めた。そんな日の夜に仕掛ける?
口実が消えてからやったらまずいでしょう、普通。
臼井勝美著 『満洲事変 戦争と外交と』 中公新書
31p
《万宝山事件にひきつづき、幣原外相は中村大尉殺害事件を処理しなければならなかった。
中村震太郎大尉は参謀本部の部員で、対ソ作戦の兵要地誌作成のため、
ひそかに興安嶺方面の偵察任務につき、トウ南、索倫の中間地で、
中国軍 (第三屯墾軍) により、六月二十七日殺害された。
東三省側は、中村大尉殺害を否認していたが、石原参謀と奉天特務機関の
花谷 (正) 少佐は、八月二日林総領事を訪れ、中村大尉の殺害はほぼ確実であり、
このうえ交渉が遷延するときは、いたずらに中国側に証拠湮滅の機会を
与えるにすぎないと、関東軍の交渉方針を伝え、林総領事の同意を求めた。・・・
32p
関東軍参謀部は実力捜査を決意し、四平街に装甲列車や歩兵砲兵連合部隊を準備した。
・・・
関東軍は中村事件対処方針を陸軍省に上申した。
33〜34p
林総領事は、十七日臧 (ぞう)(式毅) 遼寧省政府主席を訪問、軍側が相当昂奪
しているので、すみやかに事件を解決する必要がある旨を申し入れた。
臧主席は、いかなる事情があったとしても、地方軍隊が勝手に外国人を
殺害するのはすこぶる不都合なので、参謀長栄臻 (えいしん) と計って、
適当な人物を至急現地調査のため派遣すると答えた。
しかし、中国側の調査がはかばかしく進行しないのを見た林総領事は、
九月四日、省長公署で臧主席、栄臻謀長と会見、
もし中国が本件の処理を回避するような場合、国交上重大な影響を生ずるおそれが
ある旨を告げ、屯墾軍の関団長を奉天に召還するよう示唆した。
このころ中国側新聞は、さかんに中村大尉殺害事件は無根であるとの報道を載せ、
王 (正延) 外交部長も中村事件はまったく事実無根で、
満州には好んで事を構える不良ごろつき日本人が多いので、
おそらくこの連中が捏造した宣伝であると言明したため
(南京、千原特派員発 『朝日』 九月六日)、
南陸相等をはじめ軍関係者はいよいよ態度を硬化させた。
満州を視察して帰った政友会の森 (恪) 代議士らも、八月三十一日党関係の会合で、
満蒙では日中官民が無気味に対立し、
「ある意味においては事実上交戦直前の状態であるとも云へる」 と報告した。
菱刈 (隆) 大将に代わって新たに関東軍司令官となった本庄 (繁) 中将は、
八月二十日、旅順に到着したが、九月三日の多門 (二郎) 駐剳師団長、
森 (連) 独立守備隊司令官との会談で、今後さらに不祥事の発生が予想され、
「此の如くして最後の解決の時期近づきつゝあるを思はしむるものあり」 と述べた。
事態の重大化を認識した栄臻参謀長は、九月十八日ようやく
中村大尉殺害の事実を全面的に承認するにいたった。
栄臻参謀長の調査では、中村、井杉 (延太郎、同行した日本人) と露国人 (中国籍)、
蒙古人の一行四名は、六月二十五日昼、騎馬で西北方より蘇鄂 (そがく) 公府に到着し、
第三団の取調べを受けていたが、中村は軍事探偵であることが発覚し、
生命に危険の及ぶのを恐れたためか、
二十七日、夜陰に乗じ一行とともに逃亡し、
追跡を受け抵抗したので射殺されたというのであった。
東三省側がようやく中村大尉の殺害を認めたため、交渉は次の段階に移ろうとしたが、
この日夜十時過ぎ、柳条湖事件の勃発をみるのである。》
* かくして事態は満洲事変へと発展して行くのであります。
満洲事変は関東軍が起こした事になっていますが、
この事態の流れから見ると何か不自然な気もしますね。
中国側が殺害を認めた。そんな日の夜に仕掛ける?
口実が消えてからやったらまずいでしょう、普通。
これは メッセージ 404 (kireigotowadame さん)への返信です.