入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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柳条溝事件は関東軍の仕業か?1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/15 18:41 投稿番号: [407 / 2250]
満洲事変後の中国の残虐行為を挙げるのに、その前の段階として
満洲事変と満洲国建国に触れないわけにはいきません。

これを外すと、日本が満洲を侵略したのだから、
中国の反感は当然だろうと言われますので。


柳条溝事件は関東軍が仕掛けたとされていますが、石原莞爾の言い分は違っています。
彼が満洲事変を計画していたのは事実ですが、どうも、予定とは違っているようです。

酒田ホテルの仮法廷において彼は次のように証言しています。


田中正明著 『東京裁判とは何か』 大手町ブックス   日本工業新聞社発行

《162〜163p
問   証人は、張学良の軍備について研究されたことがありますか。

答   学良の全軍隊は二〇万ないし二五万であります。

   奉天以外の兵力の装備は、あまりよくありませんが、奉天の約十万の兵備は、
   当時としてはすこぶる優良なもので、日本軍にくらべ、遥かに優れていました。

   注目すべきことは、当時、日本軍は一機の飛行機も持っていなかったが、
   奉天軍は相当数保有しており、戦車隊もありました。

問   そのような近代装備をもつ学良軍に対する、関東軍の作戦計画を説明してください。


答   昭和六年八月、本庄司令官が着任後、従来の計画を変更して、撫順の中隊をもって
   奉天飛行場を奇襲する計画で、中隊長川上大尉にこれを命じました。

   あとからの報告でわかったのですが、これを受けた川上大尉は、
   撫順の防備を全く放棄することについて非常に心配して、

   その善後処置を講ずるために、
   警察及び在郷軍人の一協力を必要と考えました。

   しかし計画は秘密を要するので、事実を秘して、
   自分は九月十八日に部隊を引きつれて転出することになった。


   そのあとの守備態勢をどうするか?
   これらの民間警備の代表とともに想定演習をした。

   その協議の終ったあとで、十八日の出動は中止になったと取消した。

   ところが図らずも、九月十八日の夜、学良軍の柳条溝爆破が起きましたので、
   川上大尉は非常に狼狽して、そういう場合に当然やらなければならなかった

   新任務の飛行場の攻撃をやることもせず、非常に遅れて、
   不完全武装のまま奉天に駈けつけたのであります。

   奉天の総領事からこのこと (十八日の想定演習) が外務省に報告されたため、
   軍としては、非常に迷惑を受けたしだいであります」》


164p
《中央の指令はあくまで慎重で、準備兵力の増強要請も容れられず、
ために現地軍は訓練を重ねて、もっぱら質の向上をはかっていた、と述べたあと、

「その頃の学良軍の行動は非常に積極的で、われわれは必ず、
向うから働きかけて来るにちがいないと考えていた。

武力衝突必至と見ていたのであって、
それは決してこちらから働きかけて行くという意味ではない。

結局は向うからわれわれの弱点に向ってぶっつけて来るであろう
という恐れをもっていたのだ。


検事は、この武力衝突必至ということを、日本から仕掛けて行くことだと
理解しているようだが、決してそうではない。

われわれ関東軍としては、その前に河本大佐事件 (昭和三年の張作霧爆死事件) があり、
河本大佐が処罰され、軍司令官が罷免されたという前歴がある。

そのため、歴代の軍司令官が軽挙妄動を厳重に戒めていたので、
こちらからは決して手出しをしてはならぬと決定していた。

しかしその代わり、向うの方から出て来たら、
絶対にやっつけるという態度を堅持し、訓練を積んでいた」》


つづく
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