第一次南京事件8 漢口6
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/03/22 15:57 投稿番号: [382 / 2250]
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』
田中秀雄編集・解説
芙蓉書房
89〜91p
《機関銃の一撃により租界内群衆の掃除ができた。と見る間に各戸から飛び出した邦人
婦女子は、誰誘うともなく、まだ消え失せぬ砲煙の匂いの中を大正会館さして押し寄せた。
飯椀や箸を持ったままで駆けつけた者、細帯一つで逃げ出して来た者、血に染んだ
手拭で包帯した者、びっこ引く者、老幼さまざまの男女でたちまち一杯になった。
その後の租界は引揚げ者の処置、警備の手配、食事の準備に、
やはり戦場のような混乱状態が続けられた。
こうした混乱の半ばに、西の方はるかに火の手が上がった。
旧独租界の三井木行に暴徒が火を放ったのである。
大事に至らず消し止めたが一時は租界内はこのためにいやが上に騒ぎを大きくした。
陸戦隊によって租界を追われた群衆は、続々として支那街に引揚げる途すがら、
やはり邦人の店舗を見逃さなかった。三井木行を襲うたのもそれである。
さらに日ドイツ租界の、西口、田島の両靴店、
仏租界の共益洋行などは、租界内の各戸にも劣らぬ危険と惨害を受けた。
仏租界で雑貨商を営業していた共益洋行主人湯浅氏は語る。
三日午後四時頃日露、租界の友人宅に居たら日本租界から水兵と車夫の衝突を電話してきた。
友人と相談して重要書類など始末しておくことにして店に帰った。
途中で糾察隊十数人を乗せた自動車が日本租界方面に向けて急速力で走るのを見た。
店に行き着いて五分間も経たぬうちに、
またもや三十余の糾察隊が東に向って急ぐ、その後から二三百人ほどの群衆が続く。
その頃までは店の附近は格別変わったこともない。
これらの糾察隊は租界鎮撫のために行くものと善意に解釈していたくらいであった。
当日は農民協会か何かの成立大会があり、これに参加した各地の労働代表を
歓迎するとかで、附近の支那店舗は大半店を閉めて休業していた。
平素同租界では事変の際には必ずフランス警察から店を閉めるように布令を出す。
しかし当日の支那店舗の閉店は主意が違うので気にもかけないで居ると、
日本租界の知人が飛び込んできて、『競馬場帰りに大智門の四辻まで来ると
にわかに車夫が車を止めて、今我々の仲間が日本人に殺された、
こうしているとお前も大変だから下りろと言うので逃げて来た』 という話。
しばらくすると二人の日本水兵を後ろ手に縛り大勢で引き立てて
総工会本部に連れ込んだとの噂が伝わってきた。
いよいよ物騒だと感じたので店の戸を閉めようとするところに、人相の悪い
三人の支那人が飛び込んできて、旦那は車夫事件を知ってるかと言う。
今聞いたと答えると、どんな仕返しするかも知れぬから早く閉めろと言う。
そしてキョロキョロ店内を見廻す。
なんだか不気味だが外はますます騒がしそうなので思い切って閉めた。すると
通行人が言い合わしたように店の前に足をとめたが三人の支那人が出て行って追い払った。
妙に親切なことをすると思うて見ていると、旦那は見忘れてるか知らぬが、
自分どもはかねがね買い物に来てよく旦那を知ってるので注意しにきたのだと言う。
なるほどよく見ていると見覚えあるも頭毎日のようにサックか何か買いに来る
近所の女郎屋の主人どもだ。もちろん無頼の破戸漢である。
(湯浅九三二氏談)》
つづく
89〜91p
《機関銃の一撃により租界内群衆の掃除ができた。と見る間に各戸から飛び出した邦人
婦女子は、誰誘うともなく、まだ消え失せぬ砲煙の匂いの中を大正会館さして押し寄せた。
飯椀や箸を持ったままで駆けつけた者、細帯一つで逃げ出して来た者、血に染んだ
手拭で包帯した者、びっこ引く者、老幼さまざまの男女でたちまち一杯になった。
その後の租界は引揚げ者の処置、警備の手配、食事の準備に、
やはり戦場のような混乱状態が続けられた。
こうした混乱の半ばに、西の方はるかに火の手が上がった。
旧独租界の三井木行に暴徒が火を放ったのである。
大事に至らず消し止めたが一時は租界内はこのためにいやが上に騒ぎを大きくした。
陸戦隊によって租界を追われた群衆は、続々として支那街に引揚げる途すがら、
やはり邦人の店舗を見逃さなかった。三井木行を襲うたのもそれである。
さらに日ドイツ租界の、西口、田島の両靴店、
仏租界の共益洋行などは、租界内の各戸にも劣らぬ危険と惨害を受けた。
仏租界で雑貨商を営業していた共益洋行主人湯浅氏は語る。
三日午後四時頃日露、租界の友人宅に居たら日本租界から水兵と車夫の衝突を電話してきた。
友人と相談して重要書類など始末しておくことにして店に帰った。
途中で糾察隊十数人を乗せた自動車が日本租界方面に向けて急速力で走るのを見た。
店に行き着いて五分間も経たぬうちに、
またもや三十余の糾察隊が東に向って急ぐ、その後から二三百人ほどの群衆が続く。
その頃までは店の附近は格別変わったこともない。
これらの糾察隊は租界鎮撫のために行くものと善意に解釈していたくらいであった。
当日は農民協会か何かの成立大会があり、これに参加した各地の労働代表を
歓迎するとかで、附近の支那店舗は大半店を閉めて休業していた。
平素同租界では事変の際には必ずフランス警察から店を閉めるように布令を出す。
しかし当日の支那店舗の閉店は主意が違うので気にもかけないで居ると、
日本租界の知人が飛び込んできて、『競馬場帰りに大智門の四辻まで来ると
にわかに車夫が車を止めて、今我々の仲間が日本人に殺された、
こうしているとお前も大変だから下りろと言うので逃げて来た』 という話。
しばらくすると二人の日本水兵を後ろ手に縛り大勢で引き立てて
総工会本部に連れ込んだとの噂が伝わってきた。
いよいよ物騒だと感じたので店の戸を閉めようとするところに、人相の悪い
三人の支那人が飛び込んできて、旦那は車夫事件を知ってるかと言う。
今聞いたと答えると、どんな仕返しするかも知れぬから早く閉めろと言う。
そしてキョロキョロ店内を見廻す。
なんだか不気味だが外はますます騒がしそうなので思い切って閉めた。すると
通行人が言い合わしたように店の前に足をとめたが三人の支那人が出て行って追い払った。
妙に親切なことをすると思うて見ていると、旦那は見忘れてるか知らぬが、
自分どもはかねがね買い物に来てよく旦那を知ってるので注意しにきたのだと言う。
なるほどよく見ていると見覚えあるも頭毎日のようにサックか何か買いに来る
近所の女郎屋の主人どもだ。もちろん無頼の破戸漢である。
(湯浅九三二氏談)》
つづく
これは メッセージ 381 (kireigotowadame さん)への返信です.