公大飛行場の確保
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/01 18:51 投稿番号: [38 / 2250]
日本海軍は楊樹浦 (ヤンジッポ) の東の方に公大飛行場を建設中でしたが、
中国軍の攻撃を受けてなかなか進みませんでした。
そこで、陸軍の一部を上海に回してもらって陸軍部隊と協力して、
周囲の敵を排除することにしました。
《 九月上旬我が東部支隊右翼隊は陸軍部隊の前進に呼応して、
キュウ江碼頭及び付近地域に対し単独作戦中であった。
付近に公大航空基地を建設中であったが、
敵陣地からの銃砲火にさらされ、航空機の進出が困難であった。
このため陸軍飯田支隊 ( 飯田七郎歩兵少佐の指揮する歩兵一コ大隊基幹 ) が主として
同方面の攻撃に当たることとなり、海軍側は東部支隊、火砲によりこれに協力することとなった。
陸軍中村中隊 ( 飯田支隊の先遣隊 ) の乗艦する 「 栂 」 は六日 02:00 上海発、
下江し同03:05 キュウ江碼頭に横付けし陸兵揚陸を開始した。
ところが同倉庫によっていた敵から頑強な抵抗を受けたため、一たん揚陸を中止、
「栂」は横付けを離し、「 刈萱、安宅、堅田、夕月、芙蓉、勢多 」 などの掩護艦と共に、
夜明けまで同倉庫付近を猛撃制圧し、07:30 碼頭下流江岸に揚陸を完了させた後、
午後戦死傷者を収容し上海に帰投した。
なお旗艦出雲も六日 03:50 上海発、主砲 ( 二十糎 ( センチ ) 砲 ) をもって本上陸掩護射撃に
加入の上、08:00 上海に帰着した。
かくて上陸した飯田支隊は滬江大学から進撃し、何家宅以南の軍工路の線に進出して
八日ほぼその目的を達成したが、
九日未明の戦闘で飯田支隊長以下幹部多数が戦死するに至った。》
( 海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉』397〜398p )
《 9月10日
事変勃発当初、周水子基地 ( 大連 ) で陸軍部隊の北支海上輸送警戒に従事していた第二聯合航空隊は、
上海方面への急速な進出が望まれていたが、同方面陸上基地は未整備であった。
しかし陸軍部隊上海派兵の結果、かねて建設中であった公大基地の使用が可能となり、
同隊は九月十日この基地に進出した。
公大基地は元来ゴルフ場を急速造成したもので、同隊進出直後、天候不良のため滑走路がどろだらけとなり、
昼夜兼行の修理にもかかわらず、最初の一〇日間に九六式艦戦約一一機が発着の際大中破した。
また敵機の来襲もしばしばであったが、おおむね夜間攻撃で我に被害なく、付近敵陣地からの砲撃もその都度反撃した。
この一〇日間が実に第二聯合航空隊にとり最大の危機であった。》
( 同上402〜403p )
いままで、上海方面には、陸上に飛行機基地を持たず、航空母艦から小さな複葉機を飛ばすか、
済州島や台湾から、96式陸攻を飛ばすしか出来ませんでした。
だから、南京へは済州島から空襲に向かっていたのですが、公大基地が確保できたお陰で、
陸上から艦上機で、南京やその他、遠くの敵基地を攻撃する事が可能になりました。
中国軍の攻撃を受けてなかなか進みませんでした。
そこで、陸軍の一部を上海に回してもらって陸軍部隊と協力して、
周囲の敵を排除することにしました。
《 九月上旬我が東部支隊右翼隊は陸軍部隊の前進に呼応して、
キュウ江碼頭及び付近地域に対し単独作戦中であった。
付近に公大航空基地を建設中であったが、
敵陣地からの銃砲火にさらされ、航空機の進出が困難であった。
このため陸軍飯田支隊 ( 飯田七郎歩兵少佐の指揮する歩兵一コ大隊基幹 ) が主として
同方面の攻撃に当たることとなり、海軍側は東部支隊、火砲によりこれに協力することとなった。
陸軍中村中隊 ( 飯田支隊の先遣隊 ) の乗艦する 「 栂 」 は六日 02:00 上海発、
下江し同03:05 キュウ江碼頭に横付けし陸兵揚陸を開始した。
ところが同倉庫によっていた敵から頑強な抵抗を受けたため、一たん揚陸を中止、
「栂」は横付けを離し、「 刈萱、安宅、堅田、夕月、芙蓉、勢多 」 などの掩護艦と共に、
夜明けまで同倉庫付近を猛撃制圧し、07:30 碼頭下流江岸に揚陸を完了させた後、
午後戦死傷者を収容し上海に帰投した。
なお旗艦出雲も六日 03:50 上海発、主砲 ( 二十糎 ( センチ ) 砲 ) をもって本上陸掩護射撃に
加入の上、08:00 上海に帰着した。
かくて上陸した飯田支隊は滬江大学から進撃し、何家宅以南の軍工路の線に進出して
八日ほぼその目的を達成したが、
九日未明の戦闘で飯田支隊長以下幹部多数が戦死するに至った。》
( 海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉』397〜398p )
《 9月10日
事変勃発当初、周水子基地 ( 大連 ) で陸軍部隊の北支海上輸送警戒に従事していた第二聯合航空隊は、
上海方面への急速な進出が望まれていたが、同方面陸上基地は未整備であった。
しかし陸軍部隊上海派兵の結果、かねて建設中であった公大基地の使用が可能となり、
同隊は九月十日この基地に進出した。
公大基地は元来ゴルフ場を急速造成したもので、同隊進出直後、天候不良のため滑走路がどろだらけとなり、
昼夜兼行の修理にもかかわらず、最初の一〇日間に九六式艦戦約一一機が発着の際大中破した。
また敵機の来襲もしばしばであったが、おおむね夜間攻撃で我に被害なく、付近敵陣地からの砲撃もその都度反撃した。
この一〇日間が実に第二聯合航空隊にとり最大の危機であった。》
( 同上402〜403p )
いままで、上海方面には、陸上に飛行機基地を持たず、航空母艦から小さな複葉機を飛ばすか、
済州島や台湾から、96式陸攻を飛ばすしか出来ませんでした。
だから、南京へは済州島から空襲に向かっていたのですが、公大基地が確保できたお陰で、
陸上から艦上機で、南京やその他、遠くの敵基地を攻撃する事が可能になりました。
これは メッセージ 37 (kireigotowadame さん)への返信です.