第一次南京事件6蘇州4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/03/14 16:23 投稿番号: [374 / 2250]
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』 田中秀雄編集・解説
芙蓉書房
60〜62p
領事館巡捕の裏切り
《これより先日本領事館では形勢の急転を慮り、在留邦人側とも凝議の結果
いよいよ引揚げに決定し、前の話にもあったように十日午前二時を期して
それを決行する手筈であった。
然るにその手配中突然領事館雇用の支那人巡捕のために外部から錠をかけられ、
それらの注進によって殺到した各邦人工場の職工約五百名のために包囲されてしまった。
総工会並びにそれに従属する糾察隊がその先登であるのは言うまでもない。
これはその晩、領事館で領事館雇用の支那人巡捕を集め、一ヶ月余り
留守にするから然るべく頼む旨を申し渡し一ヶ月の給料を前渡した。
ところが巡捕側では総工会の廻し者もあり、必定日本人引揚げだと察知し、
即時に総工会に密告すると同時に館員全部監禁の暴挙に出たのである。
ここにおいてか領事を始め居合わせた重 (おも) なる在留邦人も共々
押し込められ如何ともすることができない。
職工側はまず日本人の引揚げはすなわち多数職工の生計を破壊するものとなし、
強いて引揚げを断行なるならば二ヶ年分の給料を払えと要求した。
邦人側では今回の引揚げは一時的のもので遠からず復帰する旨を説き聞かせると、
然らば日本人留守中は我々職工において工場を経営するから一ヶ年分の給料を
保証として銀行に供托せよと主張する。
ずいぶん乱暴な要求とは思うが、何分館内にも工場にも人質的に邦人を押えての
談判である。すこぶる鼻息が荒い。
やむなく彼らの要求どおり約六万五千元の保障預け入れを承諾し、岩崎領事は
監視的に同行する職工代表十四名と共に上海に下り金策することとなった。
然るにその後で職工らは勝手に館内に押し入り、器具その他設備品全部を総工会に
持ち去り、木村署長以下館内にある者全部を完全に監禁してしまった。
超えて十二日には総工会緊急会議を開き、日本租界の回収、
休業中の職工生活費の保障並びに職工の精神的物質的損害の賠償要求、
排日大同盟の組織などを決議し、
排日気勢を揚ぐると同時に領事館支那人巡捕の武装を解除した。
上海にありてこれらの飛報に接した岩崎領事は、上海矢田総領事を通じ
国民軍東路総指揮白崇禧氏に対し取り締まり方を要求した。
その結果白崇禧軍二個中隊は十二日蘇州に到着、租界外の大路を包囲し
弾圧に取り掛かり不逞分子を捕縛し斬罪に処したので、
俄 (にわ) かに怖気 (おじけ) づいた職工らは何時の間にか租界から引揚げ、総工会
本部では広間の正面に掲げてあった孫文氏の肖像や看板も取り除き、役員は皆影を潜めた。
領事館と工場の監禁は自然に解かるることとなり、邦人一同始めて蘇生の思いをした。
岩崎領事も十三日には帰任する、各工場もそれぞれ折り合いが着く、
四月の二十三四日頃までには、引揚げその他ほとんど無事にこれを了した。
・・・
第三回引揚げの中絶により一番困ったのは城内とリョ (門+呂) 門から引揚げて来た
人々であった。これらは食糧の準備とてはなし、
一時小学校で自炊生活をなし汽車の開通を待って上海に避難した。
邦人が引揚げた後の留守宅は実に惨憺たるものであった。
飲料水甕 (かめ) の中に放尿したり瓦石を投げ込んだりするのはまだしも、
井戸の中に猫の屍骸を投げ入れる、風呂桶に糞尿を詰める、畳の上は土足で汚される。
床板は踏み破られる、むしろきれいに持ち去られていた方がいいと思うほどであった。
60〜62p
領事館巡捕の裏切り
《これより先日本領事館では形勢の急転を慮り、在留邦人側とも凝議の結果
いよいよ引揚げに決定し、前の話にもあったように十日午前二時を期して
それを決行する手筈であった。
然るにその手配中突然領事館雇用の支那人巡捕のために外部から錠をかけられ、
それらの注進によって殺到した各邦人工場の職工約五百名のために包囲されてしまった。
総工会並びにそれに従属する糾察隊がその先登であるのは言うまでもない。
これはその晩、領事館で領事館雇用の支那人巡捕を集め、一ヶ月余り
留守にするから然るべく頼む旨を申し渡し一ヶ月の給料を前渡した。
ところが巡捕側では総工会の廻し者もあり、必定日本人引揚げだと察知し、
即時に総工会に密告すると同時に館員全部監禁の暴挙に出たのである。
ここにおいてか領事を始め居合わせた重 (おも) なる在留邦人も共々
押し込められ如何ともすることができない。
職工側はまず日本人の引揚げはすなわち多数職工の生計を破壊するものとなし、
強いて引揚げを断行なるならば二ヶ年分の給料を払えと要求した。
邦人側では今回の引揚げは一時的のもので遠からず復帰する旨を説き聞かせると、
然らば日本人留守中は我々職工において工場を経営するから一ヶ年分の給料を
保証として銀行に供托せよと主張する。
ずいぶん乱暴な要求とは思うが、何分館内にも工場にも人質的に邦人を押えての
談判である。すこぶる鼻息が荒い。
やむなく彼らの要求どおり約六万五千元の保障預け入れを承諾し、岩崎領事は
監視的に同行する職工代表十四名と共に上海に下り金策することとなった。
然るにその後で職工らは勝手に館内に押し入り、器具その他設備品全部を総工会に
持ち去り、木村署長以下館内にある者全部を完全に監禁してしまった。
超えて十二日には総工会緊急会議を開き、日本租界の回収、
休業中の職工生活費の保障並びに職工の精神的物質的損害の賠償要求、
排日大同盟の組織などを決議し、
排日気勢を揚ぐると同時に領事館支那人巡捕の武装を解除した。
上海にありてこれらの飛報に接した岩崎領事は、上海矢田総領事を通じ
国民軍東路総指揮白崇禧氏に対し取り締まり方を要求した。
その結果白崇禧軍二個中隊は十二日蘇州に到着、租界外の大路を包囲し
弾圧に取り掛かり不逞分子を捕縛し斬罪に処したので、
俄 (にわ) かに怖気 (おじけ) づいた職工らは何時の間にか租界から引揚げ、総工会
本部では広間の正面に掲げてあった孫文氏の肖像や看板も取り除き、役員は皆影を潜めた。
領事館と工場の監禁は自然に解かるることとなり、邦人一同始めて蘇生の思いをした。
岩崎領事も十三日には帰任する、各工場もそれぞれ折り合いが着く、
四月の二十三四日頃までには、引揚げその他ほとんど無事にこれを了した。
・・・
第三回引揚げの中絶により一番困ったのは城内とリョ (門+呂) 門から引揚げて来た
人々であった。これらは食糧の準備とてはなし、
一時小学校で自炊生活をなし汽車の開通を待って上海に避難した。
邦人が引揚げた後の留守宅は実に惨憺たるものであった。
飲料水甕 (かめ) の中に放尿したり瓦石を投げ込んだりするのはまだしも、
井戸の中に猫の屍骸を投げ入れる、風呂桶に糞尿を詰める、畳の上は土足で汚される。
床板は踏み破られる、むしろきれいに持ち去られていた方がいいと思うほどであった。
これは メッセージ 373 (kireigotowadame さん)への返信です.