第一次南京事件7南昌1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/03/15 18:38 投稿番号: [375 / 2250]
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』田中秀雄編集・解説
芙蓉書房
71〜73p
当時南昌に居住していて親しく苦難を嘗めた佐久間夫人の談話。
九月に南軍 (革命軍) が入りました際に敗残の北兵 (五省連軍) が盛んに
掠奪をやりました。その時の師長は訒汝琢と鄭俊彦というのでした。
これより先市中では仲秋お月見をやることになっていましたが、
十三日に二三百人の南軍が突然入城した。
その時には鄭師長はいなかったですが、市民では南軍が来たというので非常に喜んだのです
が、十三、十四の二日間は盛んに砲火を交えたので、私どもは図書館に避難しました。
すると、南軍が勝ったというので十六日に家に帰りますと、また大砲が鳴り出した。
まだ危険だというので、再び図書館に戻りましたが、今度は十八日の明け方近く
馬蹄の響きが聞こえる。見ると、北軍がドンドン入ってくる。
これは大変だと申していますと、外の方が非常に騒がしくなって、彼方でも斬られた、
此方でもやられたという騒ぎです。私の家の前でも大変な人死でした。
こんな有様なので一歩も外に出られない。
二日二晩というものは一二椀の粥で過ごした上に、
コックやボーイはみな隠れてしまうし城門は閉めてあるし、
ですので水汲みに行くこともできないので、お湯さえも飲めない。
その間は弾丸よけのつもりで蒲団を張り廻らし、その蔭に小さくなっているという始末です。
こうして皆がすっ込んで出ないので北軍の兵士が大いに怒り出した。
お前たちは南軍というと饅頭を食わしたりして非常に歓迎するが、
我々が来ると店を閉めてしまって物も売らない。
実にけしからぬ、これから皆殺しにするのだと言うて脅迫する。
市民は皆おびえきってしまったのです。
私は一週間ばかり図書館にいてやや静まった様子なので家に帰って見ました。
実は今度は米国人の病院に避難するつもりでしたが、何を申し女ですから
良い着物だけでも持ち出したいと思うて、包みを抱えながら家に帰ったのです。
すると子供が一週間ぶりなので喜んで家に入ってしまった。
私も後からついて入りますと、北軍の兵士がイキナリやって来て、そっちを開けろ、
こっちを開けろという、仕方ないから開けると皆かっぱらって行くのです。
海苔の缶詰など少しありましたが、これは日本の菓子だろうと言うて、
大変珍しがって皆持っていってしまった。
帯から着物、袷単物皆取られました。蒲団だけは残していったので、それを持って
病院に行ったのですが高い入院料を取られるので家に帰ったら、またドンドンやり出す。
そして今度は何千人という南軍は外から北軍は城内から一日一夜機関銃や小銃で戦争です。
それが八月二十日でしたが、南軍の兵士は割合に背が低いので城外にある
屋根に登って城門の中へ五六人が入り込んだそうです。
すると北軍は大変だというので、城の山下に立ち並んでいる家に火を放った。
屋根の瓦を破ってそこから綿に石油をつけ火を移して家の中に放り込んだ、
実に惨酷なことをしたものです。
逃げれば銃剣で殺される、逃げなければ焼き殺される、ほとんど皆殺しです。
幸い日本人は城内にいたのでその災難は免れました。
もう大丈夫だと思うているとまた掠奪です。
今度は前のこともあるので、兵士の侵入を防ぐつもりで、
石などを運んで来て門口や窓を固めていると、
煉瓦壁に大きな穴を開け、そこから犬みたいに入ってくる。
そして剣付鉄砲を咽喉に押し当て金を出せと言う。
台所から出刃包丁を持ち出して脅かす、子供などはまったくたまげてしまうのです。
つづく
71〜73p
当時南昌に居住していて親しく苦難を嘗めた佐久間夫人の談話。
九月に南軍 (革命軍) が入りました際に敗残の北兵 (五省連軍) が盛んに
掠奪をやりました。その時の師長は訒汝琢と鄭俊彦というのでした。
これより先市中では仲秋お月見をやることになっていましたが、
十三日に二三百人の南軍が突然入城した。
その時には鄭師長はいなかったですが、市民では南軍が来たというので非常に喜んだのです
が、十三、十四の二日間は盛んに砲火を交えたので、私どもは図書館に避難しました。
すると、南軍が勝ったというので十六日に家に帰りますと、また大砲が鳴り出した。
まだ危険だというので、再び図書館に戻りましたが、今度は十八日の明け方近く
馬蹄の響きが聞こえる。見ると、北軍がドンドン入ってくる。
これは大変だと申していますと、外の方が非常に騒がしくなって、彼方でも斬られた、
此方でもやられたという騒ぎです。私の家の前でも大変な人死でした。
こんな有様なので一歩も外に出られない。
二日二晩というものは一二椀の粥で過ごした上に、
コックやボーイはみな隠れてしまうし城門は閉めてあるし、
ですので水汲みに行くこともできないので、お湯さえも飲めない。
その間は弾丸よけのつもりで蒲団を張り廻らし、その蔭に小さくなっているという始末です。
こうして皆がすっ込んで出ないので北軍の兵士が大いに怒り出した。
お前たちは南軍というと饅頭を食わしたりして非常に歓迎するが、
我々が来ると店を閉めてしまって物も売らない。
実にけしからぬ、これから皆殺しにするのだと言うて脅迫する。
市民は皆おびえきってしまったのです。
私は一週間ばかり図書館にいてやや静まった様子なので家に帰って見ました。
実は今度は米国人の病院に避難するつもりでしたが、何を申し女ですから
良い着物だけでも持ち出したいと思うて、包みを抱えながら家に帰ったのです。
すると子供が一週間ぶりなので喜んで家に入ってしまった。
私も後からついて入りますと、北軍の兵士がイキナリやって来て、そっちを開けろ、
こっちを開けろという、仕方ないから開けると皆かっぱらって行くのです。
海苔の缶詰など少しありましたが、これは日本の菓子だろうと言うて、
大変珍しがって皆持っていってしまった。
帯から着物、袷単物皆取られました。蒲団だけは残していったので、それを持って
病院に行ったのですが高い入院料を取られるので家に帰ったら、またドンドンやり出す。
そして今度は何千人という南軍は外から北軍は城内から一日一夜機関銃や小銃で戦争です。
それが八月二十日でしたが、南軍の兵士は割合に背が低いので城外にある
屋根に登って城門の中へ五六人が入り込んだそうです。
すると北軍は大変だというので、城の山下に立ち並んでいる家に火を放った。
屋根の瓦を破ってそこから綿に石油をつけ火を移して家の中に放り込んだ、
実に惨酷なことをしたものです。
逃げれば銃剣で殺される、逃げなければ焼き殺される、ほとんど皆殺しです。
幸い日本人は城内にいたのでその災難は免れました。
もう大丈夫だと思うているとまた掠奪です。
今度は前のこともあるので、兵士の侵入を防ぐつもりで、
石などを運んで来て門口や窓を固めていると、
煉瓦壁に大きな穴を開け、そこから犬みたいに入ってくる。
そして剣付鉄砲を咽喉に押し当て金を出せと言う。
台所から出刃包丁を持ち出して脅かす、子供などはまったくたまげてしまうのです。
つづく
これは メッセージ 374 (kireigotowadame さん)への返信です.