入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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第一次南京事件6蘇州2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/03/12 18:43 投稿番号: [372 / 2250]
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』 田中秀雄編集・解説   芙蓉書房
56〜57p

  工会員の跋扈

《蘇州における日本人工場の重 (おも) なるものは、昨年七月に開業した
瑞豊絲廠 (日華蚕絲会社経営) 貝ボタン工場 (橋本高次郎) 備後屋畳表工場、

湯浅工場などであるが、その中瑞豊絲廠は職工数も多いので自然今回の争議の焦点と
なった観があるので、以下同廠の出来事を中心に叙述の筆を進めることにする。

二十四日に難件を持ち込まれた以後の工場は事実上支那人職工の管理に帰した形で、
しかし日本人も全然顔出さぬとなるとまた騒ぎ出す恐れがあるので、

毎日出張っては見るが指図も何もできない。

もちろんこれでは成績も挙らず、規律は乱れる、職工の要求は増長する、
何時の間にか生産費は従前の二倍以上になってしまった。


一体蘇州は生糸の産地で、支那人の経営に係る製糸工場も三つある。総工会の手は
それにも延びていった。国民党中の過激派の使嗾によるのはもちろんである。

総工会と工場側との衝突は予期されていた。
果然、延昌恒絲廠の操業休止は騒擾の端をなした。

平常ならば新繭 (まゆ) 買い入れまでの女工解雇の如きは問題にならない。
延昌恒絲廠もそれであったが、時が時であった。たちまち物議が持ち上がった。


その際仲裁に入った斯業界の長老汪氏の息子はこれをなだめんとして却って
女工の激昂を買い、彼らに追われて便所に隠れたり屋根の上を逃げ回ったり

していたが、遂に寝室に追い込められ、
捉 (つか) まって総工会に曳かれて千余名の女工の前で笞刑に処せられた。

その翌日は血迷った職工ら汪父子を車に乗せ、楽隊を先頭に市中を曳 (ひ) き回し、
邦人工場の門前にも来て喊声 (かんせい) を挙げるなどまったく暴動化して来た。

支那の警察もあるがもちろん手を着けない。こうして工人側の気勢はますます強くなる。
四月四日にはより以上の要求を持ち出した。


瑞豊絲廠では余儀なくこれを容れたものの、
このままでは到底仕事を継続する見込みは立たない。

しかしここで邦人全部が引揚げるとなるといかなる面倒が起らないとも限らないので、
領事館側とも打ち合わせ秘密裡にこれを決行することとし

九日の夜半を期し残留邦人四十八名が小蒸気船で落ち延びる手配をなし、

各工場では職工を瞞 (だま) かすつもりで酒を振舞ったり、
夜遅くまで麻雀などして何気ない風を装うたりして時の至るのを待った。


然るに準備してあった小蒸気船を荷物取りまとめのため租界外の居住者の所に
廻したのが戻ってこない。一同の手荷物はとっくに船着場に運び出してある。

船は十日の午前二時に租界に戻る手筈である。
それが十分たち二十分たち一時間たっても来ない。小雨はシトシトと降り出す。

東の空は明るくなるような気がする、皆気が気でない。
或いは職工らに感づかれはしまいかと思うと闇に響く靴音にも聞き耳を立てる。

万一見つかったらピストルに見舞われるは必定だ。
一同の緊張は絶頂に達した。》

つづく

註:   絲は糸の本字
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