入って中国人に南京事件真相議論しましょう

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

12月24日 兵民分離の住民登録始まる

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/11/18 18:46 投稿番号: [248 / 2250]
東中野修道著 『南京大虐殺の徹底検証』 233〜235p

南京陥落から二週間にして、事態はほとんど沈静化したことになる。
では、何が、事態の沈静化をもたらしたのか。

その一つの要因として、国際委員会の日本軍批判が挙げられよう。
それに対する日本側の 「厳重」 すぎる処罰も、その一つの要因であったであろう。

しかし、それ以上に、決定的な要因が二つ考えられるのである。

一つは、十二月二十二日に布告され、二十四日から一斉に開始された住民登録である。
これにより市民は、日本軍の指定する登記所に 「各自」 出頭を要請された。

代理申請は不可能であった。「良民票」 交付と言われるこの住民登録により、
日本軍は兵士と市民の分離を図ったのである。


もう一つが、住民登録と同時に始まった査問工作であった。
「兵士と、市民とを、分離しつづけることができなかった」(二号文書)

とは、国際委員会の告白であった。そのため、安全地帯に潜伏する
敗残兵の摘出作業が、南京住民立ち会いのもとに始まったのである。

この兵民分離の査問工作を担当したのが、『南京戦史資料集Ⅰ』 の
「佐々木到一少将私記」にもあるように、歩兵第三十旅団長の佐々木少将であった。

第十六師団司令部の内田義直通訳官は、その査問工作に立ち会った感想を、
次のように回想する。以下は 『南京戦史』 からの引用である。


《中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、
湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。

しかし身体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。
自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、

一般市民を狩り立てるようなことはなかった。
上衣だけが民服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。》


恐らく、内田通訳官の回想に間違いはないであろう。
『南京安全地帯の記録』 には、あること無いことを含めて、

様々な日本軍批判が収録されているが、被害者の実名を挙げて、
兵民分離工作が市民に累を及ぼしたという記録は一つもない。

こうして約二千の敗残兵と武器が摘発されたと 「佐々木到一少将私記」 は記す。
従って、国際委員会十号文書 (十二月十八日付) が

「武装解除された支那兵集団すら存在しない」と主張したのは、誤りであった。


昭和十三年一月十日付の 『読売新聞』 は、「難民調査は暮から始められて、
七日漸く一段落を告げて、敗残兵一千六百名とその他のものは安民居住の

所を与へられ、今では大手を振って城内を歩けるやうになった」 と記す。

潜伏に困難を来し、自ら出頭して市民登録を許可された支那兵もいたのである。
このため、潜伏兵が急減し、あわせて撹乱工作も減少した。

そしてまた、潜伏兵の出頭により、人口数が増加した。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)