1939年11月30日 援蒋ルートの閉鎖を要請
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/02/09 14:37 投稿番号: [2235 / 2250]
〔昭和14年12月1日
東京日日〕
南支新作戦の皇軍は北海附近に敵前上陸以来、
去る二十四日には南寧を占領し、引き続き残敵掃蕩に当っているが、
敗残の張発奎軍の大部分は四散して広西・仏印国境、雲南・仏印国境、
広西・雲南省境附近の山間に蟠踞して、
重慶方面より南下し来たった蒋直系軍と共同作戦をもって、
執拗なる遊撃戦術により皇軍の戦果を減殺せんと企図しつつあるが、
この遊撃部隊に武器、弾薬、軍需品を補給しつつあるルートは、
全支海岸線が封鎖されている今日、仏領インド支那以外にはなく、すなわち
海防
(ハイフォン)
−
河内
(ハノイ)
−
鎮南関
−
龍州
−
−
南寧の鉄道、公路による広西ルートと、
海防
−
河内
−
老開
−
河口
−
阿迷州のテン越鉄道による雲南ルートであるが、
ここにおいて仏領インド支那はわが広西作戦と至大の関連を持つに至ったので、
野村外相は三十日午後四時、外務省にアンリ駐日仏国大使の来訪を求めて
約四十分にわたり会談、
帝国政府としては南支作戦によって
なんら仏領インド支那に脅威を与えるものにあらざる旨を説明し、
その代わり仏国政府においてもインド支那を通過する
武器、弾薬、軍需品の輸送をこの際絶対に禁止されたき旨強硬に申し入れたが、
仏国の援蒋中止については従来しばしば帝国政府より抗議したにも拘わらず、
その都度仏国はその事実なしとして言辞を濁しているが、
南支作戦という新事態の発生を機として、
改めて厳重にその返答を要求した模様である。
なお従来仏印経由の軍用品は、いったん重慶に輸送された上で
各地の敵軍に配給されたものであるが、
戦場が広西省に移転、拡大した後は国境通過後、直接に敵遊撃隊に供給され、
皇軍の作戦に多大の障害を与えるに至ったものである。
これは メッセージ 2217 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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