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1939年10月14日 援蒋ルート遮断準備

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/31 19:05 投稿番号: [2217 / 2250]
児島襄著   『日中戦争5』   文春文庫
226〜227p


《「(東京出発のさい)   事変解決ガ第一、作戦ハ第二ト特命サレタ」

と、総司令官西尾寿造大将が述懐している点にも、その辺の事情はうかがえるはずである。

だが、事情はさっそくに急転した。



「作戦ハ第二」   の指示をあたえられた西尾大将が南京で統帥を発動したのは

十月一日であったが、そのわずか二週間後の十月十四日、

南寧攻略作戦が示達されたのである。

作戦の主唱者は、九月十三日に着任したばかりの参謀本部作戦部長富永恭次少将であった。


・・・・


富永少将の場合は、インドシナのフランスの 「援蒋ルート」 の遮断をこころざした。

ハイフォンから昆明に通ずるテン   (サンズイ+眞)   越鉄道が、

インドシナの 〝援蒋幹線〟 であるが、

ハノイから北東にすすむ支線は広西省境のドンダンに到達し、

そこからもトラックで物資が輸送されていた。

このインドシナとビルマの補給ルートが、いわば蒋介石の   「動脈」   である。


・・・・・


英国が管轄するビルマから雲南に至るルートは遠いが、

フランス側のハノイから広西省境のルートの中国側拠点を制圧するのは、

大兵力を動員しなくてもできる。

南寧を攻略して飛行場を確保すれば、テン   (サンズイ+眞)   越鉄道の

中国側部分を爆撃できるし、

実質的に二本の   「動脈」   の一本ぶんの活動を封止することができる。



そして、いずれ、ヨーロッパ戦争でドイツとフランスが直接に戦い、

フランスの旗色が悪くなったときには、

南寧地区の拠点はインドシナ進出の基地にもなり得るであろう……。



この発想は、のちのインドシナ進駐という南進策を示唆しているが、

富永少将は、 「これが支那事変での最後の作戦です」   と強調して、

しぶる参謀次長沢田茂中将に南寧作戦を承知させたのである。

支那派逮軍総司令官西尾大将は、十月十九日、

第二十一軍司令官安藤利吉中将にたいして、

指揮下の第五師団、台湾旅団で南寧を攻略するよう命令した。》
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