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1938年1月15日 和平交渉打切り決定

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/27 16:02 投稿番号: [2207 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   273 〜274p


《 政府側は、この二度目の休憩時間を利用して、多田中将の説得工作を推進した。

まず陸相秘書官山本茂一郎中佐、ついで陸軍省軍務局長町尻量基少将が、

参謀本部総務部長中島鉄蔵少将をたずね、

このまま多田中将ががんばりつづければ、内閣は総辞職せざるを得ない、

と指摘して、中将を説得するよう頼んだ。



中島少将は次長室にむかい、多田中将は、第二部長本間雅晴少将、

第二課長河辺大佐もまねいて、相談した。

河辺大佐は、中島少将にたいする陸軍省側のアプローチは、

政府側の 〝威嚇〟 ではないかと、うたがった。



ここで内閣総辞職となれば、強硬論をはいた政府が統帥部の消極論に

おしきられたことになる。そうなれば、国内世論は統帥部を批判するだろう。

辞職、辞職というのは、そうなってもいいのかとの意をこめて、

おどしているのではないのか。



「いや、そうではないらしいな」

  参謀次長多田中将は、会議の次第を回想しつつ、渋い表情で語った。

「近衛   (首相)   は本当に嫌になっているらしい。

なにかきっかけをつくって罷   (や)   めたいらしい。

外務大臣は、やめることにきめた、と、いっていたなァ」



そりゃ、まずい、と中島少将が即応し、結局、

このさい政府と統帥部との対立がおおやけになるのは   「頗   (すこぶ)   る不適当」   である、

政府に一任する、との結論に達した。

この参謀本部の 〝屈服〟 または譲歩を得て、大本営政府連絡会議は、

午後七時三十分に三たび開催され、蒋介石政府との和平交渉打ち切りを議決した。



   ―   だが、

参謀本部第二課戦争指導班の高嶋中佐、堀場少佐は、

なおも 〝抵抗〟 をあきらめなかった。

二人は、次長多田中将から譲歩した旨を聞くと、

統帥部が天皇に直属している憲法上の規定   (統帥権独立)   を

「妙用」   すべきだ、と主張した。



参謀総長閑院宮と軍令部総長伏見宮から、本日の会議の決定に不同意である、

ただ内閣崩壊をさけるために政府に一任した、と天皇に上奏する。

そうすれば、天皇から政府にたいして再考をもとめられるか、

あるいは御前会議召集が指示されるであろう……。



   ―   しかし、

この参謀本部の 〝巻き返し工作〟 は、効果を発揮しなかった。

次長多田中将は、高嶋中佐と堀場少佐の主張に同意して、

参謀総長の上奏文を作案させるとともに、軍令部次長古賀中将にも連絡し、

軍令部総長も同様の上奏をするよう、うちあわせた。


だが、午後九時四十分の首相上奏につづき、午後九時二十分に参謀総長閑院宮、

午後十時五分に軍令部総長伏見宮の上奏がおこなわれたが、

参謀本部が期待するような天皇の意見は表明されなかった。


参謀総長は予定どおりに政府決定に反対である旨を述べたが、

軍令部総長は、次長同士のうちあわせとは逆に、

政府に同意する見解を上奏したからである。

参謀本部は、文字どおりに   「孤立無援」   の立場にたち、

それ以上の 〝抵抗〟 は断念せざるを得なかった。》
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