1938年1月15日 大本営政府連絡会議 2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/26 15:19 投稿番号: [2204 / 2250]
午後の部
児島襄著
『日中戦争4』
271〜272p
《 会議は、午後三時に再開されたが、閑院官と伏見官の両総長は出席しなかった。
午前中の会議では、二人の皇族がいたのでいくぶん遠慮もあったらしいが、
皇族不在となると、政府側の論調は、がぜん激化した。
参謀次長多田中将が、午前中と同様に、 「即断」
はさけて、
右か左かの確答を中国側からひきだすべきだ、と主張すると、
「期限マデ返電無キハ、 和平ノ誠意無キ証左ナリ。
蒋介石ヲ
(交渉の)相手ニセズ、 (蒋が)
屈服スルマデ作戦スベシ」
陸相杉山大将が、そう反論したのにつづいて、広田外相も語気をつよめて反駁した。
「永キ外交官生活ノ経験ニ照シ、
支那側ノ応酬ブリハ
和平解決ノ誠意ナキコト
明瞭ナリ。
参謀次長ハ外務大臣ヲ
信用セザルカ」
首相近衛文麿は、カン高い声で、論戦に終止符をうつ形で発言した。
「速
(すみやか)
ニ和平交渉ヲ打切り、 我ガ態度ヲ
明瞭ナラシムルヲ要ス」
しかし、それでも参謀次長多田中将は自説をまげず、
軍令部次長古賀中将も、多田中将を支持する発言をこころみた。
海相米内大将は、不満をあらわにした表情で、その古賀中将の発言を制止して、
「政府ハ外務大臣ヲ信頼ス。
統帥部ガ外務大臣ヲ信用セヌハ、 同時ニ政府不信任ナリ。
政府ハ辞職ノ外ナシ」
一説には、米内海相のこのときの発言は、
「かくなる上は、参謀本部がやめるか、内閣がやめるか、どちらかだ」
というものだった、といわれるが、いずれにせよ、
辞職を口走ったことは間違いなく、とたんに、多田中将の反撥をさそった。
「明治大帝ハ朕ニ辞職ナシト宣
(のたま)
ヘリ。
国家重大ノ時期ニ政府ノ辞職云々ハ、 何事ゾヤ」
中将は、双眼を涙でうるませて強調した。
が、政府側は譲らず、中将も譲歩せず、会議は再び休憩となった。》
*
広田外相の
「永キ外交官生活ノ経験ニ照シ、支那側ノ応酬ブリハ
和平解決ノ誠意ナキコト明瞭ナリ。」
との洞察は正しい。
1月1日
に蒋介石は、〝和平派〟
の交通部長愈飛鵬、教育部長王世杰を解任し
1月2日には、王寵恵部長に
「応即厳詞拒絶」 (断乎として拒絶せよ)
と命令し
1月3日には、国民政府は、 「否認将派代表赴南京與日方講和」
(日本側との和平交渉のために代表を南京に派遣することは、認めない)
と決定している。
*
ここでは、軍部が和平を求め、文民が和平交渉打ち切りを主張するという、
世間常識とは逆の状態が出現している。
世間では、軍部が戦争を起こし、政府が止められなかったかのように
言われているが、事実は逆。
しかし、多田中将がいかに和平を求めようとしても、
中国にその気がなければ、無理だろう。
つづく
これは メッセージ 2202 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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