暴支膺懲声明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/05/22 19:27 投稿番号: [22 / 2250]
中国の上海攻撃の非道さに、日本政府は声明を出しました。
〔昭和12年8月15日 大阪毎日〕より
声明書
帝国つとに東亜永遠の平和を冀念し、日支 両国の親善、提携に力を効せること久しきにおよべり。
しかるに南京政府は排日抗日をもって国論昂揚と政権強化の具に供し、自国国論の過信と帝国の実力軽視の風潮と相待ち、
さらに赤化勢力と苟合して反日侮日いよいよはなはだしく、もって帝国に敵対せんとするの機運を醸成せり。
近年幾度か惹起せる不祥事件、いずれもこれに因由せざるなし。
今次の事変の発端もまた、かくのごとき気勢がその爆発点をたまたま永定河畔に選びたるに過ぎず、
通州における神人ともに許さざる残虐事件の因由またここに発す。
さらに中南支においては支部側の挑戦的行動に起因し、帝国臣民の生命財産すでに危殆 (きたい) に瀕し、
我が居留民は多年営々として建設せる安住の地を、涙をのんでついに一時撤退するのやむなきにいたれり。
顧みれば事変発生以来しばしば声明したるごとく、
帝国は隠忍に隠忍を重ね事件の不拡大を方針とし、努めて平和的かつ局地的に処理せんことを企図し、
平津地方における支那軍屡次の挑戦および不法行為に対しても、我が支那駐屯軍は交通線の確保および我が居留民保護のため、
真にやむを得ざる自衛行動に出でたるに過ぎず。
しかも帝国政府はつとに南京政府に対して挑戦的言動の即時停止と現地解決を阻害せざるよう注意を喚起したるにも拘わらず、
南京政府は我が勧告を肯んぜざるのみならず、かえってますます我が方に対して戦備を整え、
厳存の軍事協定を破りて顧みることなく、軍を北上せしめて我が支那駐屯軍を脅威し、
また漢口、上海においては兵を集めていよいよ挑戦的態度を露骨にし、
上海においてはついに我が方に向かって砲火を開き、帝国軍艦に対して爆撃を加うるに至れり。
かくのごとく支那側が帝国を軽侮し不法、暴虐至らざるなく、全支にわたり我が居留民の生命財産危殆に陥るに於いては、
帝国としてはもはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し、もって南京政府の反省を促すため、
今や断乎たる措置をとるのやむなきに至れり。
かくのごときは東洋平和を念願し、日支の共存共栄を翹望する帝国として衷心より遺憾とするところなり。
しかれども帝国の庶幾するところは日支の提携にあり、これがため支那における排外抗日運動を根絶し、
今次事変のごとき不祥事発生の根因を芟除(さんじょ) するとともに、日、満、支三国間の融和、
提携の実を挙げんとするのほか他意なく、もとより毫末も領土的意図を有するものにあらず。
また支那国民をして抗日に躍らしめつつある南京政府および国民党の覚醒を促さんとするも、
無辜の一般大衆に対してはなんら敵意を有するものにあらず。
かつ列国権益の尊重には最善の努力を惜しまざるべきは言をまたざるところなり。
中国があまりにひどい事をするので、已む無く断固たる措置をとらざるをえなくなった。
というものです。
もちろん「領土的野心などなく、あくまでも反省を促すためだ」と言っています。
そのため、派遣もたったの二個師団です。
総大将に任命された、松井石根大将もあまりの少なさに困惑したようです。
ちなみに、松井氏は、この時、予備役でした。
松井氏は、日中友好に尽していた人物なので、恐らく、彼なら、中国に対しても、良い対応をし、
事変も良い方向で解決するだろうと、期待して選ばれたのでしょう。
戦争の目的も
「上海派遣軍司令官ハ海軍ト協力シテ上海附近ノ敵ヲ掃滅シ上海竝其北方地区ノ要線ヲ占領シ帝国臣民ヲ保護スヘシ」
というもので、上海周辺の敵を排除して、日本人居留民を護れというものです。
要するに、上海の危険を排除することが目的で、それ以上の考えはなかったのです。
この、兵の少なさが、日本側に悲劇をもたらします。
〔昭和12年8月15日 大阪毎日〕より
声明書
帝国つとに東亜永遠の平和を冀念し、日支 両国の親善、提携に力を効せること久しきにおよべり。
しかるに南京政府は排日抗日をもって国論昂揚と政権強化の具に供し、自国国論の過信と帝国の実力軽視の風潮と相待ち、
さらに赤化勢力と苟合して反日侮日いよいよはなはだしく、もって帝国に敵対せんとするの機運を醸成せり。
近年幾度か惹起せる不祥事件、いずれもこれに因由せざるなし。
今次の事変の発端もまた、かくのごとき気勢がその爆発点をたまたま永定河畔に選びたるに過ぎず、
通州における神人ともに許さざる残虐事件の因由またここに発す。
さらに中南支においては支部側の挑戦的行動に起因し、帝国臣民の生命財産すでに危殆 (きたい) に瀕し、
我が居留民は多年営々として建設せる安住の地を、涙をのんでついに一時撤退するのやむなきにいたれり。
顧みれば事変発生以来しばしば声明したるごとく、
帝国は隠忍に隠忍を重ね事件の不拡大を方針とし、努めて平和的かつ局地的に処理せんことを企図し、
平津地方における支那軍屡次の挑戦および不法行為に対しても、我が支那駐屯軍は交通線の確保および我が居留民保護のため、
真にやむを得ざる自衛行動に出でたるに過ぎず。
しかも帝国政府はつとに南京政府に対して挑戦的言動の即時停止と現地解決を阻害せざるよう注意を喚起したるにも拘わらず、
南京政府は我が勧告を肯んぜざるのみならず、かえってますます我が方に対して戦備を整え、
厳存の軍事協定を破りて顧みることなく、軍を北上せしめて我が支那駐屯軍を脅威し、
また漢口、上海においては兵を集めていよいよ挑戦的態度を露骨にし、
上海においてはついに我が方に向かって砲火を開き、帝国軍艦に対して爆撃を加うるに至れり。
かくのごとく支那側が帝国を軽侮し不法、暴虐至らざるなく、全支にわたり我が居留民の生命財産危殆に陥るに於いては、
帝国としてはもはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し、もって南京政府の反省を促すため、
今や断乎たる措置をとるのやむなきに至れり。
かくのごときは東洋平和を念願し、日支の共存共栄を翹望する帝国として衷心より遺憾とするところなり。
しかれども帝国の庶幾するところは日支の提携にあり、これがため支那における排外抗日運動を根絶し、
今次事変のごとき不祥事発生の根因を芟除(さんじょ) するとともに、日、満、支三国間の融和、
提携の実を挙げんとするのほか他意なく、もとより毫末も領土的意図を有するものにあらず。
また支那国民をして抗日に躍らしめつつある南京政府および国民党の覚醒を促さんとするも、
無辜の一般大衆に対してはなんら敵意を有するものにあらず。
かつ列国権益の尊重には最善の努力を惜しまざるべきは言をまたざるところなり。
中国があまりにひどい事をするので、已む無く断固たる措置をとらざるをえなくなった。
というものです。
もちろん「領土的野心などなく、あくまでも反省を促すためだ」と言っています。
そのため、派遣もたったの二個師団です。
総大将に任命された、松井石根大将もあまりの少なさに困惑したようです。
ちなみに、松井氏は、この時、予備役でした。
松井氏は、日中友好に尽していた人物なので、恐らく、彼なら、中国に対しても、良い対応をし、
事変も良い方向で解決するだろうと、期待して選ばれたのでしょう。
戦争の目的も
「上海派遣軍司令官ハ海軍ト協力シテ上海附近ノ敵ヲ掃滅シ上海竝其北方地区ノ要線ヲ占領シ帝国臣民ヲ保護スヘシ」
というもので、上海周辺の敵を排除して、日本人居留民を護れというものです。
要するに、上海の危険を排除することが目的で、それ以上の考えはなかったのです。
この、兵の少なさが、日本側に悲劇をもたらします。
これは メッセージ 20 (kireigotowadame さん)への返信です.