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幕府山捕虜射殺状況と翌日の調査

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/20 18:37 投稿番号: [217 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 243p

・・・
捕虜たちも、また、日本側が自分たちを江上で処刑するのだ、と誤解したのである。

いっせいに喚声をあげて第一大隊におそいかかり、たちまち七人があるいは殴殺され、
あるいは銃をうばわれて射殺された。

大隊長田山少佐は射撃を下令し、包囲した機銃がうなり、
解放のはずが銃殺による 「始末」 になってしまった。

それでも、〝闇夜の鉄砲〟 の俗諺どおりに、夜間射撃の命中率は悪かったとみえ、
夜が明けると、江岸にのこる捕虜の死体は 「千人を上回った程度」 で、

その他の約三千人は逃亡した、と判定された。



鈴木明著 『「南京大虐殺」 のまぼろし』 旧196〜197p

朝、すべてが明るみに出た時、千あまり (数千ともいう) の捕虜の死体に交って、
日本兵八名と日本軍将校一名の死体があった。

その人の名を書くのは失礼だから、ここには記さない。六十五連隊将校名簿をみると、
戦死者はすべて 「上海劉家行西方にて戦死」 になっているが

(その数は、ナント全将校の半分以上にも上るが) たった一人だけ、
戦闘が行なわれなかったはずの「南京北方地区で戦死ししている人がいる。

この事件が、単に 「捕虜への一方的虐殺」 ではなかったことを、
この一人の将校の戦死の記録が、充分に物語っている。

199p
平林氏の証言

江岸に集結したのは夜でした。
その時、私はふと怖しくなってきたのを今でも憶えています。

向うは素手といえども十倍以上の人数です。
そのまま向って来られたら、こちらが全滅です。

とにかく、舟がなかなか来ない。考えてみれば、わずかな舟でこれだけの人数を
運ぶというのは、はじめから不可能だったかもしれません。

捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。
突然、どこからか、ワッとトキの声が上った。

日本軍の方から、威嚇射撃をした者がいる。
それを合図のようにして、あとはもう大混乱です。

一挙に、われわれに向ってワッと押しよせて来た感じでした。
殺された者、逃げた者、水にとび込んだ者、舟でこぎ出す者もあったでしょう。

なにしろ、真暗闇です。機銃は気狂いのようにウナリ続けました。
次の日、全員で、死体の始末をしました。

ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、あんなにむごたらしく、
悲痛な思いをしたことはありません。

我が軍の戦死者が少なかったのは、彼等の目的が、日本軍を〝殺す〟ことではなく、
〝逃げる〟ことだったからでしょうね。

向うの死体の数ですか?   さあ……千なんてものじゃなかったでしょうね。
三千ぐらいあったんじゃないでしょうか……」


200p
  鈴木氏の証言

「兵隊は、本当に一生懸命メシを作ったんですよ。
本当に殺 (や) るつもりなら、何であんなに、こっちが犠牲になってやるもんですか。

それに、本当に殺るつもりなら、こちらが殺られるはずがない。
月日は入城式の夜です。私が入城式から帰ると、ちょうどいいところに帰ってきた。

今から護送しろといわれたので憶えているんです。
捕虜は対岸に逃がすといっていました。

しかし、舟が来ないんです。
捕虜は、だまされたといって、騒ぎはじめたんじゃないでしょうか」


山田メモ

十八日   捕虜の件で精一杯。江岸に視察す。

(鈴木明著 『「南京大虐殺」 のまぼろし』 旧195p)
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