入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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12月18日 慰霊祭と訓示

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/21 18:39 投稿番号: [218 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 243〜244p

午後二時から故宮飛行場で陸海軍の合同慰霊祭がおこなわれた。

上海から南京まで、日本軍の損害は戦死 「二万千三百余人」、
傷病者 「約五万人」 をかぞえている。

正面にたてられた高さ八メートルの白木の墓標には、
「中支那方面陸海軍戦病没将士の霊標」 と書かれ、

白布をかけた祭壇には、上海からはこんだ供物がならんでいた。

各部隊の代表将兵が整列するころには、白雪が南京を白く化粧し、
式場にも雪片が舞った。

あらためて上官、戦友、部下の死をいたむ一同は、吹く風も降る雪も、
ともに天が示す哀悼の悲風、悲雪に想え、愁然かつ粛然として佇立していた。



早瀬利之著 『将軍の真実   南京事件   松井石根人物伝』 140〜142p

翌十八日の慰霊祭では、松井は方面軍の参謀たちに、

「中国軍の戦没者もあわせて祈り慰霊するようにせよ。
これが日支和平の基調である」

と伝達した。

しかし、日時の余裕がなく、翌十八日の日中合同慰霊は行なわれず、
日本軍だけの慰霊祭に終わった。この日は寒く、全員寒さに震えている。

松井の、中国人への思いは、十八日の慰霊祭で、祭文を読んでいるうちに声が詰まり、
涕泣したことや、また、十八日の朝の参謀長会で、軍紀風紀の振粛、

中国人軽侮思想の排除、国際関係について話したことにもうかがえる。

派遣軍の飯沼守参謀長は、この朝の松井訓辞を、日記にこう記している。


「今後、奥地に敵を窮迫すべきか否かは大本営の指示によるものにて不明なるも、
我個人の考えにては現在の命令範囲にては不十分。

江北、浙江省方面にも軍の地歩を広く獲得するは、
支那人に新しき決心を催すに必要なりと考えありゆえに意見を具申したく思いあり。

ゆえに一時後方に移駐する師団も、さらに前進する機会あると考えあるを要す。

要は武威に懼服 (くふく) せしむると共に、皇軍に心服親和せしめ、
日支一体の必要を感ぜしむる以外、出征の目的達成の途なし。

これがため、二、三注意をバイシ (数倍) したい。
軍紀風紀の粛正、支那人に対する軽侮の念多し。

これが禍いをなし、今日の事変を生起したるとも言い得、かつ軍人は満州の、
または北支の支那人に対したる観念をもってこの地方の漢民族を同一視するは

まぬかれざるところなり。

漢民族、とくに南方の支那人を個人的に観 (み) るときは、気力、
経済力共に侮るべからざる実質を有す。国民性の欠陥は統制と団結なかりしにあり。

ゆえにこれを加うれば恐るべき力をなす。しかして現今これが実を結びつつあり。
軽侮するは誤りなるを銘心せよ。

国際関係に対する自分の信念としては、支那人にはあまねく親切に、
英米その他諸外国に対しては正しく強く、言うあり。

外国人に対し日本が恐れずと認めしむるか、支那人を反省せしむる途なりと考えあり。
ただし感情的に諸外国に不快の観念をあたゆるは不可なり。

英米政府は極東における日本の勢力を認識しあり。
したがって、彼らは日本と協調的方針を採るべしと見透しあるも、

彼らの国民に対する政策上その通り実行し得ざる点あり。
ことに英国政府しかり。大国の襟度をもって裕々迫らざる態度にて接するを可とす」

このことを、松井は全将校に伝えるように参謀長会議で強調した。



児島襄著『日中戦争4』250〜251p

松井大将も次のように述懐している。

「慰霊祭の直後、私は皆を集めて泣いて怒った。・・・ところが、このあとで、
みなが笑った。甚だしいのはある師団長の如きは 『当り前ですよ』 とさえ、いった」
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