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1939年8月28日 汪兆銘の開いた六全大会

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/05 16:09 投稿番号: [2163 / 2250]
晴気慶胤著   『上海テロ工作76号』   毎日新聞社
125〜127p


《 国民党第六次全国国民代表大会が開かれた。 大会は国民党副総裁、

汪兆銘の名で、その年の八月二十八日から三十日の三日間招集された。

会場は   『七十六号』   の庭園だった。

鉄門をくぐって、左に入ったところの本館前の大広場であった。

ここで代表大会を開く   『七十六号』   の誇り、まして丁黙邨の得意や思うべしであった。



全国国民代表大会とは、国民大会につぐ国民党の最高機関である。

党の憲章によれば、国家の主権は国民大会がもち、国民大会は国民代表を選出する。

国民代表大会は党の章程、政綱を修正し重要政策を決定し、

かつ中央執行委員などを選出する。

二年ごとに開く代表大会は、慣習によって一年以上の延期が認められていた。

また、代表大会閉会中は半年ごとに開かれる中央執行委員会全体会議が

全国代表大会の任務を代行する。



汪兆銘は党の章程、政綱を修正し、中央執行委員の陣容を整えるために、

第六次全国国民代表大会   (六全大会)   を招集したのである。

事変前の昭和十年十一月、南京で開かれた五全大会では、 日華和戦の大計が議せられ、

その揚句、汪兆銘は軟弱だと抗日派に狙撃されて重傷を負い、

行政院長を辞めた思い出も深い。



その汪兆銘が、今や和平の策案を持して六全大会を主宰しようとするのである。

六全大会には国民代表二百四十人が出席した。

チョ民誼、陳公博、陳璧君など、いわゆる改組派と称されていた汪兆銘直系のもの、

周仏海、高宗武、梅思平など蒋介石の腹心で汪兆銘の幕下に馳せ参じたもの、

丁黙邨、李士群などのように上海で新しく同志となったもの、

陶希聖、博式説など従来政治の圏外にいたもので和平運動に加盟したものなど、

いろいろな系統のものが集まったが、

その中ではかつて上海で活躍した有能な抗日分子が圧倒的に多数だった。

丁黙邨は彼の斡旋で最近、汪運動に加担した徒党が優勢なので、

六全大会の主催者となったような気がして会心の笑みを洩らしていた。



大会は、六全大会を合法化し、かつ今後の党務の運営を容易にするため、

まず党綱領の総章の修正が行われた。

そして総裁制が廃され、代わって中央委員会制が設けられ、

汪兆銘はその主席に推薦されたが、

この決定によって蒋介石は自動的に国民党総裁を解任された。

つぎに党務整理案が可決され、

同年一月一日以降の中央執行委員会の決議は、すべて無効とされた。



この決定によって、重慶が行った汪兆銘以下の党籍、官職の剥奪は取り消され、

逮捕令失効ということになった。それと同時に中央執行委員などの補充が行われた。

六全大会の執行委員は新たに選挙することをやめて、

五全大会の委員をそのまま留任させ、

その欠員だけを汪兆銘が指名して補充することになり、

丁黙邨、李士群は新しく委員となった。

さらに重慶地区にいる執行委員には、上海に集まって汪兆銘に協力するように要請された。



次は国民党の新しい政綱の決定である。

外交関係では日本と和協し、反共産主義国と連合して

第三インターの陰謀を防止することを決めた。

内政では連邦政治、分治合作などの分裂政策を排して統一国家を維持すると規定し、

軍事部門では事変の終結とにらみ合せて軍隊の復員と整備を図ることなどを決定した。》
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