1939年7月22日 汪兆銘の反共論文
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/16 15:53 投稿番号: [2115 / 2250]
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
124〜125p
《 汪兆銘が新中央政府の樹立について日本の要路と協議している間、
丁黙邨たちは重慶テロの一掃に必死の活動をつづけていた。
その結果六月の末になると、市党部の大部は正式に汪派に帰順し、
上海の藍衣社組織は壊滅同然となり、そのほとんどの幹部は捕えられてしまった。
また、租界の反日、反汪新聞はことごとく逼塞
(ひっそく)
し、
これに代わって
『七十六号』
の機関紙、中華日報が七月十日に創刊されるなど、
上海は名実ともに汪派の手中に帰した。
ことに七月二十二日、中華日報に発表された汪兆銘の反共論文は、
上海で活動をはじめかけていた中国共産党に大きな打撃を与え、
多くの有能な青年、学生が汪陣営に吸収された。
その論文の内容は次の通りであった。
「日華開戦当時、軍事当局は三カ月以内にソ連は参戦するだろうと力説し、
共産党は虎の威をかりて開戦反対論者に圧迫を加えた。
上海、南京が陥落すると、共産党はたちまち説を変えて、
ソ連の参戦を主張するものを漢奸と呼んで弾圧した。
それからの共産党の最大の任務は、中国に戦争をいつまでもつづけさせることであった。
戦争を中途でやめることに彼らが反対するのは当然だが、
共産党は蒋介石の錯誤を利用している。
これ以上戦争をつづけていたら、勝っても負けても中国は共産党に奪われるだろう。
国家と党を救うためには、共産党とのつながりを断って、
戦争をすぐやめるほかはない。
日本は近衛声明を実行すると誓っている。
日本と妥協することはもはや国を滅すものでなく、国を救う道である」》
つづく
これは メッセージ 2048 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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