南京 郭岐が明かした略奪者
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/28 18:45 投稿番号: [2143 / 2250]
ラーベは、略奪は日本軍がやっていて、中国人はかわいそうな被害者だと
思っていますが、実は中国人こそが略奪の犯人だったと郭岐は書いています。
松村俊夫著 『「南京虐殺」 への大疑問』 138〜141p
《 ところで、いささか長文になるが、次に重要な文章を引用する。
これこそが 「略奪」 の真相だったと考えられるからである。
〈 十二月十二日の後、城門は大型の荷車が通行できず、汽船の運行も断絶していたのに、
なぜ上海路ではあのように売買がおこなわれたのだろうか。
また商品はどこから来るのだろうか。
これらは 簡単なことであった。一夜のうちに商品はすべて揃い、
選ぶ手間も運ぶ時間も省け、そのうえどれも使えそうな商品ばかりだった。
一般に生計が苦しく度胸がある難民たちは、昼は隠れて
夜活動するというねずみのような生活をしていた。
夜の間は獣兵は難民区の内外を問わず、活動する勇気がなく、
兵隊の居住する地区を守る衛兵がいるだけで、このときが活動の機会となった。
人々は難民区外の大企業、大店舗、大きな邸宅を好きなだけ物色した。
当時、食品会社には食べ物が、妙機会社には日用品が、絹織物問屋には絹織物があった。
だから一晩動くと翌日には手に入らない物はなく色々なものがすべて揃った。
長い間世に出ることのなかった骨董書画、磁器や、馬桶、たんつぼ、箸、
お碗、小皿、電球までもが揃っていて、一つの家庭を作るのも容易なことだった。
半日もかからずにすべて買いそろえることができ、
しかも価格を勝手に決めることができた。
あるときなど、私は銅貨三枚で茶壷を買ったが、帰り際に売っていた人は
「友よ、持って行けよ!」 とでもいうように笑っていた。
真新しい洋服でも、おそらく二元あれば買え、新品のソファーが三元もしなかったし、
狐の皮の長衣が十数元で、これを着て日本兵に仕えて荷物運びをしている者もいた。
一番良い上等のロシア絨毯が数元もしなかったが、惜しむらくは、
それらの書画や古い磁器が獣兵にも多く買われていたことである。
その中には、世に伝わる名品もあり、長い間、世に出てこなかった物もあったが、
今無造作に道端に並べられていた。
ある人が地中から金の碗を二つ掘り出したが、茶碗のように大きく、
表面がとてもきたなかったので、てっきり鋼製だと思い、上海路に並べて売っていた。
注意深い人が、手で持ってみたところ思ったよりも重量感があったので、
表面を少し力を入れてこすってみると、美しい光沢があったので、金ではないかと疑った。
そこで二角で二つの碗を買い取って、鑑識眼のある人に見てもらうと、
本当に金製であったとのことである。
その他にも骨董品の値打ちが分からずにやたらに買った人は多く、
磁器一つとっても、六朝時代、康煕帝時代のものまで多く含まれていた。
しかし、そのとき盗んで売った者も、買って持っている者も何の罪もとがめられなかった。
ただ金陵女子大の黄女史だけが入り口のところに次のように書いて貼っていた。
「略奪品を買って持ち込むべからず」 と。・・・・〉
(②234頁〜235頁)
この文章を読んで、読者は誰が書いたと思ったろうか。
「獣兵」 とあるのは日本兵を意味するのでとまどうかもしれないが、
これは 『資料集②』 に載っている郭岐の手記の一部である。
先に書いたように、彼は南京戦当時、支那軍の指揮官であった。》
注:松村俊夫氏の言う資料集とは、青木書店刊 『南京事件資料集』 の事
②は中国関係資料編
* 「それらの書画や古い磁器が獣兵にも多く買われていた」
つまり、中国人が略奪し売っていた 「書画や古い磁器」 を
日本兵が買ったと言う事です。
しかしながら、その買った日本兵は、後世、略奪者と見なされます。
ひどい事に。
思っていますが、実は中国人こそが略奪の犯人だったと郭岐は書いています。
松村俊夫著 『「南京虐殺」 への大疑問』 138〜141p
《 ところで、いささか長文になるが、次に重要な文章を引用する。
これこそが 「略奪」 の真相だったと考えられるからである。
〈 十二月十二日の後、城門は大型の荷車が通行できず、汽船の運行も断絶していたのに、
なぜ上海路ではあのように売買がおこなわれたのだろうか。
また商品はどこから来るのだろうか。
これらは 簡単なことであった。一夜のうちに商品はすべて揃い、
選ぶ手間も運ぶ時間も省け、そのうえどれも使えそうな商品ばかりだった。
一般に生計が苦しく度胸がある難民たちは、昼は隠れて
夜活動するというねずみのような生活をしていた。
夜の間は獣兵は難民区の内外を問わず、活動する勇気がなく、
兵隊の居住する地区を守る衛兵がいるだけで、このときが活動の機会となった。
人々は難民区外の大企業、大店舗、大きな邸宅を好きなだけ物色した。
当時、食品会社には食べ物が、妙機会社には日用品が、絹織物問屋には絹織物があった。
だから一晩動くと翌日には手に入らない物はなく色々なものがすべて揃った。
長い間世に出ることのなかった骨董書画、磁器や、馬桶、たんつぼ、箸、
お碗、小皿、電球までもが揃っていて、一つの家庭を作るのも容易なことだった。
半日もかからずにすべて買いそろえることができ、
しかも価格を勝手に決めることができた。
あるときなど、私は銅貨三枚で茶壷を買ったが、帰り際に売っていた人は
「友よ、持って行けよ!」 とでもいうように笑っていた。
真新しい洋服でも、おそらく二元あれば買え、新品のソファーが三元もしなかったし、
狐の皮の長衣が十数元で、これを着て日本兵に仕えて荷物運びをしている者もいた。
一番良い上等のロシア絨毯が数元もしなかったが、惜しむらくは、
それらの書画や古い磁器が獣兵にも多く買われていたことである。
その中には、世に伝わる名品もあり、長い間、世に出てこなかった物もあったが、
今無造作に道端に並べられていた。
ある人が地中から金の碗を二つ掘り出したが、茶碗のように大きく、
表面がとてもきたなかったので、てっきり鋼製だと思い、上海路に並べて売っていた。
注意深い人が、手で持ってみたところ思ったよりも重量感があったので、
表面を少し力を入れてこすってみると、美しい光沢があったので、金ではないかと疑った。
そこで二角で二つの碗を買い取って、鑑識眼のある人に見てもらうと、
本当に金製であったとのことである。
その他にも骨董品の値打ちが分からずにやたらに買った人は多く、
磁器一つとっても、六朝時代、康煕帝時代のものまで多く含まれていた。
しかし、そのとき盗んで売った者も、買って持っている者も何の罪もとがめられなかった。
ただ金陵女子大の黄女史だけが入り口のところに次のように書いて貼っていた。
「略奪品を買って持ち込むべからず」 と。・・・・〉
(②234頁〜235頁)
この文章を読んで、読者は誰が書いたと思ったろうか。
「獣兵」 とあるのは日本兵を意味するのでとまどうかもしれないが、
これは 『資料集②』 に載っている郭岐の手記の一部である。
先に書いたように、彼は南京戦当時、支那軍の指揮官であった。》
注:松村俊夫氏の言う資料集とは、青木書店刊 『南京事件資料集』 の事
②は中国関係資料編
* 「それらの書画や古い磁器が獣兵にも多く買われていた」
つまり、中国人が略奪し売っていた 「書画や古い磁器」 を
日本兵が買ったと言う事です。
しかしながら、その買った日本兵は、後世、略奪者と見なされます。
ひどい事に。
これは メッセージ 2141 (kir**gotowa**me さん)への返信です.