1937年12月25日 石川達三南京へ向け出発
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/15 14:14 投稿番号: [2112 / 2250]
12月25日
石川達三は南京取材のため、東京を発ちました。
『生きている兵隊』 中公文庫の後ろの方の
“「解説」
半藤一利”
204p
より引用
《 各雑誌は作家の現地特派という企画で競い合うことになる。
『中央公論』
は七月にもう尾崎士郎、林房雄を中国に派遣している。
同じく
『主婦の友』
は吉尾信子を送った。
九月には
『日本評論』
から榊山潤がでかけ、その報告がそれぞれの誌面を派手に飾った。
負けてはならじと
『文藝春秋』『改造』
などの各誌がそれにつづいた。
厳しい検閲のもとに、がぜん戦意を高める現地報告、従軍記、
ルポルタージュが、主流という情勢になっていく。
このとき、その二年前に第一回芥川賞を受けた気鋭の作家石川達三が
「俺が全然こんなのとは違った従軍記を書いてみせる」
と、
ひそかな野望を抱いたとしても、なんら奇怪
(おか)
しいことではない。
「毎日読む記事が画一的なんで腹が立ちました。
戦争というものは、こんなものではない。
自分の目で確かめたいと思っているところへ、中央公論特派員の話があったのです」
と、石川は語っているが、とにかく、こうしてかれは中国戦線へ従軍することになる。
十二年十二月二十五日に東京を発ち、神戸から軍用貨物船で出港、・・・》
*
石川達三は、どうも、他の人達の穏和な記事が気に食わず、
残虐な光景を書きたかったようですね。
彼の小説は、最初から、そういう意図で取材され、まとめられていたのなら、
上海・南京戦の実態を表わしている物とは言えなくなります。
*
半藤氏は、石川達三の南京行きを
「従軍」
と書いていますが、
これは、おかしいでしょう。
別に、軍にくっついて行ったわけではないし、
彼が、行った時には、上海戦も南京戦も終わっていました。
彼は、適当に、現地で話しを聞き、破壊の後を見、死体を見ただけです。
あとは、最初の想いのままに残虐話を作り上げただけです。
これは メッセージ 2110 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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