南京 長勇のヤッチマエは幕府山の間違いか
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/02 15:51 投稿番号: [2085 / 2250]
14日、山田支隊は幕府山で、婦女子・老人など非戦闘員を含む、
一万四七七七名の捕虜を獲た。非戦闘員をより分け釈放した。
15日、処置をどうするか、師団に問い合わせると、 「始末せよ」
と言われた。
しかし、この 「始末せよ」
は、どうも本当の軍命令ではないようです。
というのは、上海派遣軍の飯沼参謀長は次のように日記に書いているからです。
◇十二月二十一日
大体晴
荻洲部隊
山田支隊ノ捕虜一万数千ハ
逐次銃剣ヲ以テ処分シアリシ処
何日カニ相当多数ヲ同時ニ
同一場所ニ連行セル為
彼等ニ騒カレ
遂ニ機関銃ノ射撃ヲ為シ
我将校以下若干モ共ニ射殺シ
且ツ相当数ニ
逃ケラレタリトノ噂アリ。
上海ニ送リテ
労役ニ就カシムル為
榊原参謀連絡ニ行キシモ
(昨日)
遂ニ
要領ヲ得スシテ帰リシハ
此不始末ノ為ナルヘシ。
軍は、捕虜を上海に送って労役に使うつもりだったようです。
板倉由明著
『本当はこうだった南京事件』
141〜142p
《 榊原氏の証言
(一九八三年7月3日榊原主計氏自宅にて)
では、
捕虜は上海に送って労役をさせることにして、受け入れ準備のため、
上海に出張し、帰って捕虜受け取りに行ったら既に殺されていた、という。
どうも上海派遣軍司令部では、参謀長、副参謀長、担当参謀のいずれも
捕虜殺害の命令を出していないようである。》
では誰がそんな命令を出したのでしょうか?
考えられるのはただ一人、長勇参謀です。
彼には
「ヤッチマエ」
という有名な話があります。
第6師団が、17日に下関で捕まえた支那人十二、三万をどうするか、
と聞いてきたら、殺せと言ったという話です。
この十二、三万には民間人を含んでいます。
しかして、この時期に、
第六師団が下関で十二、三万もの民間人を含む捕虜など、とれるわけがないし、
第十軍の第六師団が上海派遣軍の長勇にお伺いを立てられるわけもない。
長勇も命令できない。
話に辻褄があいません。
しかしこの問い合わせが、第六師団ではなく、第十六師団なら辻褄があいます。
ところで、山田支隊は第十三師団ですが、
第十三師団本体は揚子江の北側にいて、南京にはいません。
山田支隊は、第十六師団の応援に呼ばれていますから、
問い合わすべき師団は第十六師団なのです。
この第十六師団が15日に上海派遣軍に問い合わせたとすれば話が通ります。
場所は下関ではなく幕府山で、日にちも違いますけど、
一万四七七七名を一桁上げれば十二、三万になります。
これには、婦女子・老人も含まれています。
問い合わせたら、長勇が
「ヤッチマエ」
と言った。
長勇の
「ヤッチマエ」
は本当はこうではないでしょうか。
もしそうなら、30万人から、下関の十二、三万人は差し引かなければなりません。
これは メッセージ 2083 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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