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1937年の慰霊祭後の涙の訓示はなかった6

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/19 18:38 投稿番号: [2059 / 2250]
板倉由明著   『本当はこうだった南京事件』   306〜308p


《 言うまでもなく、松井大将は昭和二十三年十二月二十三日に処刑されており、

『上海時代』   の出版はその二十数年後のことである。

順序で言えば松本氏の錯覚は、松井大将の錯覚から誘導された可能性もある。

つまり松井大将自身が慰霊祭を一回だけ、と錯覚   (半ば故意?)   していたのかもしれない。



その最大の原因は、東京裁判対策の誤算であろう。

松井大将は裁判に出頭する前に弁明資料として   「支那事変日誌抜粋」   を書き、

基とした日記を始末したという。

しかし、この日記の中で、なぜか残った昭和十二年十一月一日以後の分は、

田中正明氏が発見されて、御殿場の自衛隊に保管されている。



「日誌抜粋」   は戦後の執筆で、申し開きの目的で書かれたものであるから、

南京事件解明には直接役にたたない。

しかし東京裁判に臨むにあたっての、松井大将の   「傾向と対策」   を

探る上での資料としては貴重である。



この中で最も力点の置かれているのは、第三国権益の侵害に対して

松井大将のとった措置の弁明で、量として約四十%を占めている。

つまり松井大将は、裁判に於いてここが最も攻撃目標にされると考えたのであろう。

中国人に対する日本軍の非行としては、 「暴行・掠奪」   が、ぐっと減って

十五%程度に落ちるが、 「虐殺」   に至っては全く無いといってよい。


・・・


その   「日誌抜粋」   の   「五、我軍ノ暴行、奪掠事件」   の中では次のようになっている。

「因   (よっ)   テ予ハ南京入城翌日   (十二月十七日)   特ニ部下将校ヲ集メテ

厳ニ之ヲ叱責シテ   善後ノ措置ヲ要求シ、犯罪者ニ対シテハ

厳格ナル処断ノ法ヲ   執ルヘキ旨ヲ   厳命セリ。」

・・・この括弧内の日付は一日違う。・・・



推理すれば、全くの記憶違いでなければ、

この部分は自己の処置に手抜かりが無かったことを強調するため、

二月の慰霊祭後の訓示を流用したものと考えられる。

実際にはこの時南京で悪い印象は持たずに、

ご機嫌で二十一日に上海に帰っていることが日記からも察せられる。



松井大将としては、部下の非行に対し ごく早い時期に厳重な注意や処置を

講じていたことを立証して責任を免れるためには、

「訓示」   は十二月の慰霊祭後に行ったことにする必要があったのであろう。

無論、二月に諭した   「非行」   が   「大虐殺」   でなかったことは後述のように明瞭である。



しかし、この錯誤は定着し、その   「意味」   は当初の松井大将の意図と逆に、

あたかも   「大虐殺」   の存在証明と》



されてしまったようです。
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