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1939年 汪精衛の訪日は蒋介石との密約

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/14 19:02 投稿番号: [2050 / 2250]
胡蘭成著   『日本及び日本人によせる』   日月書店
54p


《 汪精衛は   「自分は敵陣に入って講和を提案する。

そうしたらば敵の攻勢をいささかでも緩めることができよう。

講和は平等の立場で出来ると思うが、もし失敗したなら自分は国賊にされても、

蒋さん、あなたには名誉の抗戦に努めてもらいたい」   と

蒋介石との間に極秘の打合わせをし了解を得たものと思われる。



当時私は汪精衛の側近にいたが、このことは確かめてみなかった。

戦後三十年を経た一昨年のことであるが、

私は台湾で、中国文化学院の同僚K教授から次の話を聞いた。

K教授がかつてメキシコにいた時、元重慶政府の外務省旅券課長金庸寿から

親しく聞いた話である。



「あの日、汪先生は秘書を通じて出国旅券を求めてきた。

戦時中、勅任官以上の出国には蒋軍事委員長の許可が必要であった。

しかし、汪先生は国民党の副総裁である。金課長は外務大臣王寵恵にこのことを伺った。

王寵恵は即時電話で直接蒋委員長に伺ったところ   『よろしい』   との

返事を得たのである」と。

これでこの間の事情は明らかであろう。》



56p
《 この   (近衛文麿の)   呼びかけに応じて、

汪精衛は脱出と見せかけて重慶から講和に向かわれたのである。

汪精衛は安南のハノイに着くと、重慶派遣の特務に襲われ、

同志の曾仲鳴が射殺された。

そして重慶では汪精衛は国に謀叛したと発表され、国民党の籍を刺奪された。

暗殺を指揮した特務主任陳恭ジュは後年上海で次のように語った。



「あの晩、汪先生は辛うじて難を逃がれたというのではなく、

上からの極秘命令で、射つなといわれたからである。」

しかし、擬装の襲撃といいながら、曾仲鳴の射殺はひどかった。

偽装という意味は、

汪精衛が交渉の相手でなくては日本側は全面講和の相手にしてくれない。

しかし、全面講和というと重慶側の抗戦の士気を挫く恐れがあるので、

講和が成功する時まで蒋介石は講和に同意したのではないというふうに

しておきたかったのである。》



つづく
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