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1939年6月18日 汪精衛中国に帰る

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/13 18:45 投稿番号: [2048 / 2250]
塚本誠著   『ある情報将校の記録』   中公文庫
280p


《 汪氏は日本当局との会談を終えると、六月十八日、芝浦を出帆して天津に向かった。

この時から須賀彦次郎海軍大佐が海軍代表という意味で一行に参加した。

天津上陸後、汪氏は、六月二十五日、二十七日の二日にわたって

臨時政府の首脳王克敏と会談し、六月二十八日上海に帰った。




児島襄著   『日中戦争5』
213p


《 汪兆銘は、七月から毎月三百万元の資金援助をうける約束を得て、

六月十八日、離日した。

天津経由で北京にむかった汪兆銘は、呉佩孚が私宅への来訪を要求したので、

「面子」   を維持するために会見を断念したが、

臨時政府主席王克敏とは、二度にわたって話しあった。



六月二十八日、上海に帰った汪兆銘は、 「特工総部」   が用意した愚園路のもと

国民政府中央委員王伯群邸を宿舎にして、おちついた。

むかい側の家屋に、上海憲兵隊の私服武装憲兵約三十人が、

警戒のために配備されていた。



その翌日、南京の維新政府主席梁鴻志が、交通部長陳群、綏靖部長任援道をつれて、

汪兆銘をたずねたが、これら   「既成政権」   幹部たちは、一致して、

汪兆銘と蒋介石との間には   「了解」   があるものと理解する姿勢をみせた、

といわれる。



この汪と蒋が   「通々」   であるとの見方は、既述したように、

日本側の一部でも保持されたが、

日本占領地の中国人要人たちの間ではとくに根強く、

さらには国際的にもそう観測する傾向が強かった。



フランス外務省極東部長J・ショーベルも、駐仏米大使W・ブリットに語っている。

「本官の手もとには、汪兆銘と蒋介石の間には、

汪を通じて日本と和平をこころみる密約が存在する旨を告げる、

明らかに権威ある報告があまりにも多くとどいている」



だが、表面的には、汪兆銘と蒋介石は敵対関係にある。

上海に帰着した汪兆銘は、支持を表明する〝有力人士〟または

〝猟官運動者〟との応接に忙殺される反面、

国民政府側の言論攻勢にさらされた。》
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