1939年6月10日 汪精衛 日本で会談3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/10 15:53 投稿番号: [2041 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
212〜213p
《 汪兆銘は、六月十日、首相平沼麒一郎と会談した。
そのご、陸相板垣征四郎中将、海相米内光政大将、外相有田八郎、
枢密院議長近衛文麿をたずねている。
これらの要人との会見は、しかし、ほぼ表敬訪問に終った。
じつは、日本側は六月六日の五相会議で、汪兆銘政府を実現するための
「中国新中央政府樹立方針」
を決定していた。
その内容は、前年の十一月の
「日支新関係調整方針」
に規定された
分治主義にもとづき、北支、蒙疆、揚子江下流、南支沿岸特定島嶼を
日本側の管理下におき、新政権は、汪兆銘、呉佩孚、臨時・維新政府と
「翻意改善ノ重慶政府」
を
「構成分子」
にする − というものであった。
汪兆銘が出馬の根拠にした
「日華協議記録」
とは、似ても似つかぬ方向といえよう。
もっとも、日本側にしてみれば、すでに汪兆銘自身が変心し、
いわば日本の
「庇護」
をもとめている形である以上、
これまでの既成政権以上の処遇をする根拠はない、とも判断されるわけである。
だが、日本側はこの
「方針」
はこんごの討議対象にすることにして示さず、
汪兆銘は、七月から毎月三百万元の資金援助をうける約束を得て、
六月十八日、離日した。
*
児島氏による
『日中戦争』
での会談の印象は、塚本氏と違って厳しい。
晴気氏はその中韓のようだ。
それぞれの受け取り方が多少違う。
これは メッセージ 2039 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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