1937年12月18日 慰霊祭と訓示
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/11 15:15 投稿番号: [2042 / 2250]
早瀬利之著
『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』
140〜142p
《 翌十八日の慰霊祭では、松井は方面軍の参謀たちに、
「中国軍の戦没者もあわせて祈り慰霊するようにせよ。これが日支和平の基調である」
と伝達した。
しかし、日時の余裕がなく、翌十八日の日中合同慰霊は行なわれず、
日本軍だけの慰霊祭に終わった。
この日は寒く、全員寒さに震えている。
松井の、中国人への思いは、十八日の慰霊祭で、祭文を読んでいるうちに声が詰まり、
涕泣したことや、また、十八日の朝の参謀長会で、
軍紀風紀の振粛、中国人軽侮思想の排除、
国際関係について話したことにもうかがえる。
派遣軍の飯沼守参謀長は、この朝の松井訓辞を、日記にこう記している。
「今後、奥地に敵を窮迫すべきか否かは大本営の指示によるものにて不明なるも、
我個人の考えにては現在の命令範囲にては不十分。
江北、浙江省方面にも軍の地歩を広く獲得するは、
支那人に新しき決心を催すに必要なりと考えありゆえに意見を具申したく思いあり。
ゆえに一時後方に移駐する師団も、さらに前進する機会あると考えあるを要す。
要は武威に懼服 (くふく) せしむると共に、皇軍に心服親和せしめ、
日支一体の必要を感ぜしむる以外、出征の目的達成の途なし。
これがため、二、三注意を倍シ (数倍) したい。
軍紀風紀の粛正、支那人に対する軽侮の念多し。
これが禍いをなし、今日の事変を生起したるとも言い得、
かつ軍人は満州の、または北支の支那人に対したる観念をもって
この地方の漢民族を同一視するはまぬかれざるところなり。
漢民族、とくに南方の支那人を個人的に観 (み) るときは、
気力、経済力共に侮るべからざる実質を有す。
国民性の欠陥は統制と団結なかりしにあり。
ゆえにこれを加うれば恐るべき力をなす。
しかして現今これが実を結びつつあり。軽侮するは誤りなるを銘心せよ。
国際関係に対する自分の信念としては、支那人にはあまねく親切に、
英米その他諸外国に対しては正しく強く、言うあり。
外国人に対し日本が恐れずと認めしむるか、
支那人を反省せしむる途 (みち) なりと考えあり。
ただし感情的に諸外国に不快の観念をあたゆるは不可なり。
英米政府は極東における日本の勢力を認識しあり。
したがって、彼らは日本と協調的方針を採るべしと見透しあるも、
彼らの国民に対する政策上その通り実行し得ざる点あり。
ことに英国政府しかり。大国の襟度をもって裕々迫らざる態度にて接するを可とす」
このことを、松井は全将校に伝えるように参謀長会議で強調した。》
児島襄著 『日中戦争4』 250〜251p
《 松井大将も次のように述懐している。
「慰霊祭の直後、私は皆を集めて泣いて怒った。・・・
ところが、このあとで、みなが笑った。
甚だしいのはある師団長の如きは 『当り前ですよ』 とさえ、いった」》
注 懼 : ク 「おそれる」
懼服とは、「おそれ、ふくす」 という意味。
《 翌十八日の慰霊祭では、松井は方面軍の参謀たちに、
「中国軍の戦没者もあわせて祈り慰霊するようにせよ。これが日支和平の基調である」
と伝達した。
しかし、日時の余裕がなく、翌十八日の日中合同慰霊は行なわれず、
日本軍だけの慰霊祭に終わった。
この日は寒く、全員寒さに震えている。
松井の、中国人への思いは、十八日の慰霊祭で、祭文を読んでいるうちに声が詰まり、
涕泣したことや、また、十八日の朝の参謀長会で、
軍紀風紀の振粛、中国人軽侮思想の排除、
国際関係について話したことにもうかがえる。
派遣軍の飯沼守参謀長は、この朝の松井訓辞を、日記にこう記している。
「今後、奥地に敵を窮迫すべきか否かは大本営の指示によるものにて不明なるも、
我個人の考えにては現在の命令範囲にては不十分。
江北、浙江省方面にも軍の地歩を広く獲得するは、
支那人に新しき決心を催すに必要なりと考えありゆえに意見を具申したく思いあり。
ゆえに一時後方に移駐する師団も、さらに前進する機会あると考えあるを要す。
要は武威に懼服 (くふく) せしむると共に、皇軍に心服親和せしめ、
日支一体の必要を感ぜしむる以外、出征の目的達成の途なし。
これがため、二、三注意を倍シ (数倍) したい。
軍紀風紀の粛正、支那人に対する軽侮の念多し。
これが禍いをなし、今日の事変を生起したるとも言い得、
かつ軍人は満州の、または北支の支那人に対したる観念をもって
この地方の漢民族を同一視するはまぬかれざるところなり。
漢民族、とくに南方の支那人を個人的に観 (み) るときは、
気力、経済力共に侮るべからざる実質を有す。
国民性の欠陥は統制と団結なかりしにあり。
ゆえにこれを加うれば恐るべき力をなす。
しかして現今これが実を結びつつあり。軽侮するは誤りなるを銘心せよ。
国際関係に対する自分の信念としては、支那人にはあまねく親切に、
英米その他諸外国に対しては正しく強く、言うあり。
外国人に対し日本が恐れずと認めしむるか、
支那人を反省せしむる途 (みち) なりと考えあり。
ただし感情的に諸外国に不快の観念をあたゆるは不可なり。
英米政府は極東における日本の勢力を認識しあり。
したがって、彼らは日本と協調的方針を採るべしと見透しあるも、
彼らの国民に対する政策上その通り実行し得ざる点あり。
ことに英国政府しかり。大国の襟度をもって裕々迫らざる態度にて接するを可とす」
このことを、松井は全将校に伝えるように参謀長会議で強調した。》
児島襄著 『日中戦争4』 250〜251p
《 松井大将も次のように述懐している。
「慰霊祭の直後、私は皆を集めて泣いて怒った。・・・
ところが、このあとで、みなが笑った。
甚だしいのはある師団長の如きは 『当り前ですよ』 とさえ、いった」》
注 懼 : ク 「おそれる」
懼服とは、「おそれ、ふくす」 という意味。
これは メッセージ 2040 (kir**gotowa**me さん)への返信です.