1939年6月13日 日本軍、天津英租界封鎖
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/11 15:25 投稿番号: [2043 / 2250]
〔昭和14年6月14日
東京日日(夕刊)〕
日本軍当局、英租界〝封鎖〟を声明
〔天津本社特電十三日発〕
天津租界問題に対するわが方最後の手段たる
検問、検索はいよいよ明十四日より断行することとなったが、
わが軍当局では十三日午後零時半、左のごとき重大声明を行い
わが方の所信を中外に声明し、併せて一般民衆に対しても布告を発した。
なお総領事館でも当地在留邦人に対し告諭を発し、注意を喚起するところあった。
(在天津日本軍当局談十三日午後零時半発表)
およそ吾人の忍耐には限度がある。
いまやついにその限度に達した。
吾人は北支の治安確保のため、また軍自体の自衛のため、
断乎として所要の措置をとる。
去る三月より四月に至り、忠勇なる下士官兵三名は当市内において
国共側テロ団の毒刃のもとに仆れ、また程海買監督は英租界内において
不穏分子の兇弾の下に東亜建設の貴き犠牲となった。
しかしてテロ団一部の中四名は捕われて工部局に抑留せられ、
その犯跡はわが方の調査により一点の疑いもない。
現場実証に立ち会いしたる英租界当事者が当時さように確認したのである。
軍当局はその執るべき実力的行動が無辜
(むこ)
の華人及び第三国人に
及ぼす影響の大なることを思い、隠忍自重、忍びがたきを忍んで、
英租界当局との間に外交的折衝によって犯人の支那側当局に対する引き渡しを要求し、
かつ北支、特に天津市内の治安維持に協力するよう要請したるに、
英租界当局は再三遁辞を設けてその回答を遷延し、
際限がない故についにしびれを切らし、
六月七日を期限として諾否いずれとも回答をなすよう要求した。
しかるに六日到着した回答は省みて他をいう性質のもので、
本質的にわが要求を拒絶したのである。
すなわち上記四人の犯人は証拠不十分という名目の下に引き渡しを拒否し、
その代わりにえたいの知れぬ嫌疑者二人を引き渡そうというのである。
わが方の要求はいうまでもなくかように曖昧な、
今後の調査を俟
(ま)
たなければ罪証も明らかでないような
一般的不逞分子にあらずして、現に皇軍の勇士を闇討ちにし、
また臨時政府要人を暗殺した犯人の引き渡しであり、
これを端的に拒絶する以上、もはや回答無意義ということになる。
かくのごとく明々白々の犯人をかばわんとする英当局に、
誠意ある協力を求めたところで所詮無駄な話で、
この態度こそ該租界をしてますます陰謀、
テロなどあらゆる抗日策謀の温床たらしむるゆえんである。(後略)
これは メッセージ 2033 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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