1939年6月10日 汪精衛 日本で会談2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/09 18:54 投稿番号: [2039 / 2250]
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
122〜123p
《 陸相との会見およびそれにつづいて行われた周仏海と
日本当路との協議では、大要次のことが決定された。
一、国民党の独裁をやめて、新中央政府には国民党以外の人も参加させる。
二、臨時政府
(華北)
は華北政務委員会と改称する。
維新政府
(華中)
は新中央政府に吸収する。
三、新政府の政綱には、日華は提携して善隣となり、
また共産主義には反対するという意味をはっきりさせる。
四、中国の国旗には青天白日旗を用いる。
臨時・維新政府が用いている五色旗はやめる。
五、新政府は満州国の独立を認める。
六、日本は中国の内政には干渉しない。
七、日華合弁事業を検討して、日華の権利を平等にする。
八、日本が管理している海関、塩税などの国家収入を新中央政府に引き渡す。
九、日本軍が管理している工場、鉱山、家屋は作戦に直接必要なものを除き中国に返還する。
以上の中で、国旗を青天白日旗とすることは、
戦場で重慶軍と汪派の和平軍との区別がつかなくなるので困るという
現地軍の強硬な反対が長くつづいたが、
その後協議の末、 「反共和平建国」
と墨書した黄色の布片を
旗の上部に必ずつけるということになって、やっと妥協ができた。
塚本誠著
『ある情報将校の記録』
279p
《 国旗問題は陸軍側特に現地軍に反対が強かったが、
重慶側の青天白日旗と見分けるために、旗ざおの上部に、
「和平、反共、建国」
と書いた黄色三角布片を添付するということで話は折れ合った。
汪氏の強く主張する
「改組還都」
方式を日本側は全面的にのんだ。
汪側は一応成功感にひたったに違いない。
日本側は、新政権の実体が従前の国民政府ということになれば、
満州国を否認されるかも知れぬという不安をいだいた。
これについて陸相が汪氏の意見をただしたところ、
「満州については孫文先生の大正十三年神戸における演説に徴しても、
これが独立を承認することは、孫文主義に反するものではない。
また満州国の生成発展せる現況に照しても独立国としてこれを認むるのほかあるまい。
なお日本と和平を志す以上満州国は承認のほかはないと深く覚悟している」
と汪氏は答えた。
青天白日旗の上部に
「和平、反共、建国」
の三角布片をつけることは、
汪氏の提案したものであるが、
後日これを最も嘆いた人は皮肉にも汪夫人陳壁君女史であった。
旗ざおの上部に三角布をつければ、
竿頭よりその幅だけ下がった所に青天白日旗をつけることになる。
国旗を竿頭より下がった所につけるのは、弔旗の場合である。
年中わが国旗が弔旗の形になっていることは凶相ではないか、と騒ぎだした。
そのため青天白日旗は竿頭につけ、「和平、反共、建国」旗は別の小ざおにつけて、
これを国旗の竿頭の上に突き出るように旗ざおにしぼっているところもあった。》
これは メッセージ 2037 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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