12月16日 幕府山 火災で捕虜逃
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/07 18:37 投稿番号: [204 / 2250]
山田メモより
十六日
相田中佐を軍司令部に派遣し、捕虜の扱いにつき打合わせをなさしむ。
捕虜の監視、田山大隊長誠に大役なり。
(鈴木明著 『「南京大虐殺」のまぼろし』 旧194p)
両角業作
手記
炊事が始まった。某棟が火事になった。
火はそれからそれへと延焼し、その混雑はひとかたならず、
聯隊からも直ちに一中隊を派遣して沈静にあたらせたが、
もとよりこの出火は彼らの計画的なもので、
この混乱を利用してほとんど半数が逃亡した。
我が方も射撃して極力逃亡を防いだが、暗に鉄砲、ちょっと火事場から離れると、
もう見えぬので、少なくも四千人ぐらいは逃げ去ったと思われる。
私は部隊の責任にもなるし、今後の給養その他を考えると、
少なくなったことを却って幸いぐらいに思って上司に報告せず、
なんでもなかったような顔をしていた。
児島襄著 『日中戦争4』 236〜237p
この夜、約八千人の捕虜をかかえた幕府山の第六十五連隊では、
午後九時すぎ、夕食の炊事中に火災が発生した。
捕虜を監視していたのは、第一大隊 (田山芳雄少佐) の兵四、五人であったので、
ただちに一個中隊がかけつけたが、なにせ相手は八千人である。
あっという間に、約半数が逃亡してしまった。
が、第百三旅団長山田少将も、第六十五連隊長両角大佐も、内心はホッとした。
少将は、捕虜を 「始末」 せよとの指示をうけていたし、
大佐は、捕虜にたいする給養に苦慮していたからである。
東中野修道著 『南京大虐殺の徹底検証』 132〜133p
ともあれ、幕府山要塞の地下倉庫に備蓄された食糧が発見された。
渡りに舟とばかりに、それがバラック棟に運び込まれる。
やがて、投降兵自ら自給自足するよう、指示が出た。投降兵の炊事が始まった。
ところが、ある一棟から出火した。
不注意で出火させれば寒天の下で眠らなくてはならないから、
不注意の出火ではなかった。意図的な放火であった。
両角連隊長は、脱走を狙った放火と判断した。
これが収容三日目 (十二月十六日) のことになる。
この放火事件は、「第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」 の筆者十九名中、
四人が陣中日記に記す。
・・・・
こうして火災の出た日 (十二月十六日) の夕方、一部の投降兵が銃殺に処せられた。
しかし、揚子江岸の処刑については、両角連隊長の手記は何も記していない。
が、両角部隊兵士の複数の陣中日記 (十二月十六日) には明記されている。
たとえば「遠藤高明陣中日記」には次のように書かれている。
《夕刻ヨリ軍命令ニヨリ捕虜ノ三分ノ一ヲ江岸二引出シⅠニ於テ射殺ス。》
「Ⅰニ於テ射殺ス」、つまり第一大隊によって投降兵は射殺された。遠藤少尉 (仮名)
の言う軍命令とは、師団命令を受けた形の旅団命令であったのであろう。
これは メッセージ 203 (kireigotowadame さん)への返信です.
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