12月16日 城内清掃と和平案改訂会議
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/08 18:25 投稿番号: [205 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 238〜239p
― 十二月十六日、
日本軍は掃蕩と清掃をいそいだ。
翌日、十七日に入城式、次いで十八日に陸海合同慰霊式をおこなう
ことがきまったからである。
とくに、市内に散乱する中国側の死体の片づけが、急務とみなされた。
入城式行進のルートは、中山門から国民政府大礼堂までの目ぬき通りがえらばれている。
「安全区」 委員会に協力がもとめられ、委員会は、紅卍会 (楊登瀛) と
慈善団体 「崇善堂」(周一通) に委託した。
紅卍会は急には人夫が集められない旨を回答し、「崇善堂」 だけが、
「安全区」 の難民を 「一体四角」 の処理賃金で動員した。
だが、それでもわずか四十人をあつめ得たにすぎず、
おかげで死体処理といっても、中山路と中正路が交差する鼓楼付近の死体を、
双龍巷、石婆巷などの露地の側面につみあげるか、
いくつかの池に投棄するだけで埋葬は後日に待つほかはなかった。
死体の壁ができた露地には、たちまち野犬、野良猫、ネズミがむらがり、
凍った死体の腹をかみやぶり、その中で眠るものもいた。
捕虜の処置もいそがれ、前述した 「安全区」 の法務部から連行された
中国兵約二千三百人の大半が処刑された。
和平案改訂会議
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 463p
十六日の大本営政府連絡会議では、独大使に対する回答案の取り扱いなどが審議された。
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会議は翌日も続く
これは メッセージ 204 (kireigotowadame さん)への返信です.
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