入城式の日取・和平案改訂・幕府山捕虜
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/06 18:35 投稿番号: [203 / 2250]
入城式の日取り交渉
早瀬利之著 『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』 136p
塚田参謀長は十五日に派遣軍司令部を訪ね、
「杭州、蕪湖、揚子江右岸地区の安定確保。
一部の兵力を大本営の使用に供すること、航空隊をもって要塞を爆撃すること」
など五項目について、松井司令官の意向を伝え、
ついでに入城式を十七日に行なうことで念を押している。
これに対し、飯沼守派遣軍参謀長、「十八日入城式」 とゆずるが、
方面軍の強腰に屈して、十七日に行なうことになっていた。
なぜ松井方面軍司令官が十七日の入城式にこだわったかは、今もなぞになっている。 ただ、
松井には、参謀本部からの要請で、二十日には上海にもどらなければならない事情があった。
広東作戦、浙江作戦、上海の新政府構想、およびパネー号事件で、上海のイギリス大使や
提督との談判など、難問題を抱えていて、南京に長くとどまっておれない事情があった。
和平案改訂会議
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』 463p
十五日の (大本営政府) 連絡会議では、
従来どおり現在の国民政府を中央政府と認めてこれと折衝するに決し、
かつ交渉条項は前日のとおり大体決定した。
多田次長は、事変の早期解決、長期持久戦回避の必要を述べたが、
出席者はこれを了承した。
幕府山捕虜の扱い
山田旅団長メモ
十五日
捕虜の始末のことで本間少尉を師団に派遣せしところ 『始末せよ』 との命を受く。
各隊食糧なく困窮せり。捕虜将校のうち幕府山に食糧ありときき運ぶ。
捕虜に食わせることは大変なり。
(鈴木明著 『 旧 「南京大虐殺」 のまぼろし』 193p)
これは メッセージ 202 (kireigotowadame さん)への返信です.
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