1939年 ノモンハン4 撃退後の執拗な進出
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/27 15:36 投稿番号: [2009 / 2250]
辻正信著
「ノモンハン秘史」
毎日ワンズ
108〜110p
《 東中佐は第二十三師団の騎兵連隊長で、
多くの部隊長の中でも傑出した人物であった。
積極果敢、如何にも騎兵的性格のはっきりした武人で、部下からの信望も深かった。
外蒙騎兵数百名の越境を駆逐するには勿体 (もったい) ないくらいである。
十三日夜、連隊主力 (軽装甲一中隊と乗馬一中隊) を率いて
勇躍ノモンハンに馳せつけたとき、その勢いに脅えたか十四日の夜、
外蒙騎兵は大部の兵力をハルハ河左岸 (*モンゴル領) に退げ、
残った一部も十五日正午頃、退却の兆 (きざ) しを認めた。
東中佐はこの機を看破して、攻撃前進に移り、敵をハルハ河左岸に撃退した。
ハイラルに腕を撫でて機を待っていた飛行隊が、この獲物を見逃すはずはない。
直ちに出動して、軽爆一中隊で退却する外蒙騎兵をハルハ河渡河に乗じ爆撃し、
三、四十名を粉砕したらしい。
この戦場に飛行機が出動したのは、これが初めてであった。
小松原師団長は、東支隊出動の目的を達したものと認め、
満軍一団 (一連隊) でノモンハン集落付近を守備して敵を監視させ、
十六日の夜、東支隊をハイラルに引き揚げさせた。
これで、ノモンハン事件は、終わったものと思い込んでいた。
「手際よく片づけた。思い知ったであろう」 と、
軍司令官も幕僚も一安心していたところ、その翌日、小松原師団長から、
「東支隊の撤退に追尾する如く敵兵は再びハルハ河を越えて右岸に進出せり」
との報告に接した。
ダニのように執拗に、ハエのように五月蝿いことだ。
「何とかして、根本的に膺 (こ) らさにゃなるまい」 と
考えている矢先、師団長から、山縣支隊
(山縣歩兵連隊長の指揮する歩兵一大隊、連隊砲一中隊及び騎兵連隊の主力)
をカンヂュル廟付近に急派させたとの報告が来た。
「待てよ、こんな方法を蒸し返したら際限がない。
何とか新しいやり方を考えねばならぬ」 との意見に各幕僚とも一致した。
軍司令官も参謀長も全く同感である。次のような電報が師団長に発せられた。
一、敵が一歩国境を越えたとて、不用意に出撃するは急襲成功の道ではない。
殊にノモンハンのように同一地点に屡々 (しばしば) 越境する敵に
対しては、ピストン式では反 (かえ) って敵に致され易い。
二、ハルハ河右岸に外蒙騎兵の一部が進出滞留するようなことは、
大局的に見て大なる問題ではない。
暫く静観し、機を見て一挙に急襲しては如何。
いやしくも師団長に対し、
このような幼稚な指導をすることが適当ではないのは明瞭である。
しかし、この師団は新編匆々 (そうそう) の新世帯で、
上下左右の団結と、訓練とが在満師団中最下位にあった。
人を見て法を説くことが実際の統帥であり、師団長の善良な人柄は、
軍のこのような電報に対しても何ら悪意を抱かれなかったのである。》
つづく
108〜110p
《 東中佐は第二十三師団の騎兵連隊長で、
多くの部隊長の中でも傑出した人物であった。
積極果敢、如何にも騎兵的性格のはっきりした武人で、部下からの信望も深かった。
外蒙騎兵数百名の越境を駆逐するには勿体 (もったい) ないくらいである。
十三日夜、連隊主力 (軽装甲一中隊と乗馬一中隊) を率いて
勇躍ノモンハンに馳せつけたとき、その勢いに脅えたか十四日の夜、
外蒙騎兵は大部の兵力をハルハ河左岸 (*モンゴル領) に退げ、
残った一部も十五日正午頃、退却の兆 (きざ) しを認めた。
東中佐はこの機を看破して、攻撃前進に移り、敵をハルハ河左岸に撃退した。
ハイラルに腕を撫でて機を待っていた飛行隊が、この獲物を見逃すはずはない。
直ちに出動して、軽爆一中隊で退却する外蒙騎兵をハルハ河渡河に乗じ爆撃し、
三、四十名を粉砕したらしい。
この戦場に飛行機が出動したのは、これが初めてであった。
小松原師団長は、東支隊出動の目的を達したものと認め、
満軍一団 (一連隊) でノモンハン集落付近を守備して敵を監視させ、
十六日の夜、東支隊をハイラルに引き揚げさせた。
これで、ノモンハン事件は、終わったものと思い込んでいた。
「手際よく片づけた。思い知ったであろう」 と、
軍司令官も幕僚も一安心していたところ、その翌日、小松原師団長から、
「東支隊の撤退に追尾する如く敵兵は再びハルハ河を越えて右岸に進出せり」
との報告に接した。
ダニのように執拗に、ハエのように五月蝿いことだ。
「何とかして、根本的に膺 (こ) らさにゃなるまい」 と
考えている矢先、師団長から、山縣支隊
(山縣歩兵連隊長の指揮する歩兵一大隊、連隊砲一中隊及び騎兵連隊の主力)
をカンヂュル廟付近に急派させたとの報告が来た。
「待てよ、こんな方法を蒸し返したら際限がない。
何とか新しいやり方を考えねばならぬ」 との意見に各幕僚とも一致した。
軍司令官も参謀長も全く同感である。次のような電報が師団長に発せられた。
一、敵が一歩国境を越えたとて、不用意に出撃するは急襲成功の道ではない。
殊にノモンハンのように同一地点に屡々 (しばしば) 越境する敵に
対しては、ピストン式では反 (かえ) って敵に致され易い。
二、ハルハ河右岸に外蒙騎兵の一部が進出滞留するようなことは、
大局的に見て大なる問題ではない。
暫く静観し、機を見て一挙に急襲しては如何。
いやしくも師団長に対し、
このような幼稚な指導をすることが適当ではないのは明瞭である。
しかし、この師団は新編匆々 (そうそう) の新世帯で、
上下左右の団結と、訓練とが在満師団中最下位にあった。
人を見て法を説くことが実際の統帥であり、師団長の善良な人柄は、
軍のこのような電報に対しても何ら悪意を抱かれなかったのである。》
つづく
これは メッセージ 2003 (kir**gotowa**me さん)への返信です.