入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1937年12月16日 南京城内清掃

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/27 15:27 投稿番号: [2008 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   238〜239p


《 十二月十六日、

日本軍は掃蕩と清掃をいそいだ。

翌日、十七日に入城式、

次いで十八日に陸海合同慰霊式をおこなうことがきまったからである。

とくに、市内に散乱する中国側の死体の片づけが、急務とみなされた。

入城式行進のルートは、中山門から国民政府大礼堂までの

目ぬき通りがえらばれている。



「安全区」   委員会に協力がもとめられ、委員会は、紅卍会   (楊登瀛)   と

慈善団体   「崇善堂」(周一通)   委託した。

紅卍会は急には人夫が集められない旨を回答し、 「崇善堂」   だけが、

「安全区」   の難民を   「一体四角」   の処理賃金で動員した。

だが、それでもわずか四十人をあつめ得たにすぎず、

おかげで死体処理といっても、中山路と中正路が交差する鼓楼付近の死体を、

双龍巷、石婆巷などの露地の側面につみあげるか、

いくつかの池に投棄するだけで埋葬は後日に待つほかはなかった。



死体の壁ができた露地には、たちまち野犬、野良猫、ネズミがむらがり、

凍った死体の腹をかみやぶり、その中で眠るものもいた。

捕虜の処置もいそがれ、前述した   「安全区」   の法務部から

連行された中国兵約二千三百人の大半が処刑された。》



*   「死体を、・・・、いくつかの池に投棄するだけで・・・」


    なるほど、 「崇善堂」   に雇われた者が放り込んだわけか。

    それを、外国人は、日本軍が殺して放り込んだと解釈したわけか。

    この路上の死体の殆どは、12日夜の中国軍の脱走混乱でできたもの。

    こうやって、誤まった歴史がつづられる。
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