1939年4月25日 汪兆銘ハノイ脱出
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/07 15:28 投稿番号: [1950 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
204〜205p
《 一週間後の四月二十五日夜、汪兆銘夫妻らはハノイをはなれ、
ダロン港で小型傭船にのりこみ、
三日後、日本船
「北光丸」
に移乗して、上海にむかった。
−
ところが、
その上海をめざす
「北光丸」
船上で、汪兆銘は意外事を告げた。
「貴国政府に於て異存がなければ、従来の計画を変更し、
和平政府樹立の計画に変更したい希望をもっている」
のちに、香港総領事田尻愛義が影佐大佐から聞いた話では、
汪兆銘は、こんごの方針として、
「一、一切をあきらめて外遊する。
二、日本の占領地にとどまり、言論を主にして重慶に呼びかける。
三、日本の占領地を統括する新政府の長となって、
重慶政府に桔抗する政治力になり、日本に協力する」
という三案を述べ、このうち第三案を決意したと語った、という。
「寔
(まこと)
に事重大である」
影佐大佐は、汪兆銘の発言を耳にしたときの印象を、そう手記しているが、
むしろ、愕然または唖然とした心境をさそわれたはずである。
なぜなら、これまで汪兆銘は重慶脱出の前も後も、
一貫して日本の傀儡になることを拒否する姿勢を顕示してきた。
日本側につたえた
「拳事予定計画」
でも
「日本軍未占領地」
に
新政府の樹立を強調し、二月下旬に元亜州司長高宗武が伝達した汪兆銘の意向も、
傀儡視されている臨時、維新両政府の解消をふくんでいた。
いや、前述したように、ハノイをはなれる際に、
広東は日本軍占領地だから嫌だ、上海に行く、と、
汪兆銘は明言したばかりである。
日本に協力する和平政府、それも
「日本の占領地を統括する新政府」
となれば、北京と南京にそれぞれ位置する臨時、維新政府以上に、
日本の傀儡視されるはずではないか。
変心、それも
「百八十度の変心」
としか思えないが。》
これは メッセージ 1948 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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