1939年4月 『七十六号』への批判起こる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/05 18:39 投稿番号: [1945 / 2250]
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
78〜80p
《 四月半ば過ぎ、 『七十六号』 は予定通り活動を開始した。
テロにはテロ、拳銃には拳銃という恐ろしい戦いが、
重慶側特務工作隊に対して挑まれたのであった。
『七十六号』 からは、情報を添えた報告書が、約束通り毎週私の手もとに届けられた。
情報は租界の敵の動静を正確綿密に記したものだったので、
憲兵隊に益するところが多かった。
だが工作そのものは予定通りには進んでいないらしく、
報告の内容はだんだん千変一律となり、精彩を失ってきた。
一方、重慶側特工隊のテロはますます激しくなるばかりで、
昨日も今日もと、犠牲者の報告がつづいてくる。
こうなると、私たちの立場が非常に苦しくなってきた。
日本軍の内部では、ようやく非難の声が高まりはじめた。
〝何のための特工ぞ。何のための 『七十六号』 ぞ。
重慶テロ一掃のために生まれ出た 『七十六号』 は、
いたずらに金を食うばかりでいったい何をしているのだ〟
こうした声は必然的に、丁黙邨や李士群たちに疑いの眼を向けていった。
あるいは彼らまで重慶テロに内通しているのではなかろうか − と。
なお、そのうえ悪いことには 『七十六号』 の行動隊員の乱行が起きた。
つまり急いで狩り集めたものだから、中には素質の悪いゴロツキ同然のやつがいて、
それらがわがもの顔にのしまわって、ゆすり、たかりを働き、民衆を痛めつけるのである。
そうした悪業が募り募って、いまや特工そのものが厳しい批判を浴びるに至ったのである。
こうした非難を一身に受けた私は、全く参ってしまった形だった。
憂鬱で夜も眠れなくなった私は、とうとう神経衰弱の気味すらあって
毎日イライラしていた。丁黙邨もしきりに焦っていたがどうともならず、
このごろは私のもとに顔を見せようともしない。
繊細で鋭敏すぎる彼の知性は、悪い環境に処して勇猛心を振るって
これを打破する力を与える代わりに、その性格をますます弱くして、
情勢をいよいよ悲観的に観察させたのだ。
しかし、こうした中にあって、李士群だけは大まかで楽天的だった。
彼は毎日のように私のところに来て、私をそれとなく元気づけ、
ときとしては夜遅くまで失敗談を話しして皆を笑わせたりした。そして、
「こちらも苦しいが、敵も苦しいに違いありません。計画は予定のごとく進んでいます。
もう少しの辛抱です。なあに、藍衣社なんかに負けるものですか」 と笑っていた。
彼は、ある日、 『七十六号』 の行動隊長という男を連れてきた。
呉志宝と呼ぶ四十あまりの大男である。
黒い大きな顔が不気味に脂ぎり、濁った眼には落ち着きがなく、
指や胸には金色に輝く大きな指環や鎖がそのあくなき物欲を現していた。
オドオドした卑屈な物腰の中には、かさにかかって人を見おろす凶悪な
相さえにじんで、一見して無知な暴力団の親分とうなずかされる風体だった。
李士群は一部行動隊員の不埒 (ふらち) な悪業を詰問して、
私の面前で厳重に取り締まれと命じた。行動隊員には呉の旧部下が多く、
李の威令は必ずしも徹底せぬところがあるらしい。呉がペコペコといやらしく
愛橋を振りまいて立ち去ったあとで、李士群は嘆息して語った。
「あの男は、私の船会社の用心棒をしたこともあるゴロツキの大親分です。
勇敢で統御の才があるので、行動隊を任せています。
藍衣社との本格的戦いがいよいよはじまると、役に立つ男ですが、
教養がないので行為に知性がなく、困っています。
行動隊を粛清して 『七十六号』 の規律を高めるには、
いずれ彼を整理しなければならなくなるでしょうが、
藍衣社をつぶすまで、もうしばらくの間、大目にみているつもりです」
今日は珍しくも李士群から 『七十六号』 を粛清する話を持ち出した。
彼も私の気持ちはよくわかっているらしい。
しかし果たして粛清できるかどうか、私は多くを期待することができなかった。》
78〜80p
《 四月半ば過ぎ、 『七十六号』 は予定通り活動を開始した。
テロにはテロ、拳銃には拳銃という恐ろしい戦いが、
重慶側特務工作隊に対して挑まれたのであった。
『七十六号』 からは、情報を添えた報告書が、約束通り毎週私の手もとに届けられた。
情報は租界の敵の動静を正確綿密に記したものだったので、
憲兵隊に益するところが多かった。
だが工作そのものは予定通りには進んでいないらしく、
報告の内容はだんだん千変一律となり、精彩を失ってきた。
一方、重慶側特工隊のテロはますます激しくなるばかりで、
昨日も今日もと、犠牲者の報告がつづいてくる。
こうなると、私たちの立場が非常に苦しくなってきた。
日本軍の内部では、ようやく非難の声が高まりはじめた。
〝何のための特工ぞ。何のための 『七十六号』 ぞ。
重慶テロ一掃のために生まれ出た 『七十六号』 は、
いたずらに金を食うばかりでいったい何をしているのだ〟
こうした声は必然的に、丁黙邨や李士群たちに疑いの眼を向けていった。
あるいは彼らまで重慶テロに内通しているのではなかろうか − と。
なお、そのうえ悪いことには 『七十六号』 の行動隊員の乱行が起きた。
つまり急いで狩り集めたものだから、中には素質の悪いゴロツキ同然のやつがいて、
それらがわがもの顔にのしまわって、ゆすり、たかりを働き、民衆を痛めつけるのである。
そうした悪業が募り募って、いまや特工そのものが厳しい批判を浴びるに至ったのである。
こうした非難を一身に受けた私は、全く参ってしまった形だった。
憂鬱で夜も眠れなくなった私は、とうとう神経衰弱の気味すらあって
毎日イライラしていた。丁黙邨もしきりに焦っていたがどうともならず、
このごろは私のもとに顔を見せようともしない。
繊細で鋭敏すぎる彼の知性は、悪い環境に処して勇猛心を振るって
これを打破する力を与える代わりに、その性格をますます弱くして、
情勢をいよいよ悲観的に観察させたのだ。
しかし、こうした中にあって、李士群だけは大まかで楽天的だった。
彼は毎日のように私のところに来て、私をそれとなく元気づけ、
ときとしては夜遅くまで失敗談を話しして皆を笑わせたりした。そして、
「こちらも苦しいが、敵も苦しいに違いありません。計画は予定のごとく進んでいます。
もう少しの辛抱です。なあに、藍衣社なんかに負けるものですか」 と笑っていた。
彼は、ある日、 『七十六号』 の行動隊長という男を連れてきた。
呉志宝と呼ぶ四十あまりの大男である。
黒い大きな顔が不気味に脂ぎり、濁った眼には落ち着きがなく、
指や胸には金色に輝く大きな指環や鎖がそのあくなき物欲を現していた。
オドオドした卑屈な物腰の中には、かさにかかって人を見おろす凶悪な
相さえにじんで、一見して無知な暴力団の親分とうなずかされる風体だった。
李士群は一部行動隊員の不埒 (ふらち) な悪業を詰問して、
私の面前で厳重に取り締まれと命じた。行動隊員には呉の旧部下が多く、
李の威令は必ずしも徹底せぬところがあるらしい。呉がペコペコといやらしく
愛橋を振りまいて立ち去ったあとで、李士群は嘆息して語った。
「あの男は、私の船会社の用心棒をしたこともあるゴロツキの大親分です。
勇敢で統御の才があるので、行動隊を任せています。
藍衣社との本格的戦いがいよいよはじまると、役に立つ男ですが、
教養がないので行為に知性がなく、困っています。
行動隊を粛清して 『七十六号』 の規律を高めるには、
いずれ彼を整理しなければならなくなるでしょうが、
藍衣社をつぶすまで、もうしばらくの間、大目にみているつもりです」
今日は珍しくも李士群から 『七十六号』 を粛清する話を持ち出した。
彼も私の気持ちはよくわかっているらしい。
しかし果たして粛清できるかどうか、私は多くを期待することができなかった。》
これは メッセージ 1895 (kir**gotowa**me さん)への返信です.