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1937年12月13日海軍の下関突入

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/03 18:38 投稿番号: [1939 / 2250]
戦史叢書   中国方面海軍作戦1』   467〜468p


《 南京突入(一三日)   烏龍山砲台の守備兵は十三日未明の

陸軍第十三師団山田支隊の進出及び海軍部隊の砲爆撃により、敗走した模様であった。

南京においては陸軍部隊は城内に突入し始めた。

近藤指揮官は急速閉塞線を突破して南京に進出するに決し、

12:00 ころ各隊に進撃を下命した。

・・・

13:30   前衛隊   (保津、勢多、掃一、掃三号、山風、海風)、

15:15   主隊   (二見、掃一、掃四号、江風、涼風、安宅は錨鎖に掃海索が絡まり

出港が遅れ、近藤指揮官はとっさに江風に旗艦を変更、南京入港後安宅に復帰した)   の

順に泊地発、縦陣列で閉塞線を突破し南京に向け進撃した。

更に主隊の後に第一水雷隊の   「鵲、鴻」、「安宅、熱海、掃二、掃五号」

がこれを追った。



江上、江岸は敗走する敵大部隊、舟艇、筏   (いかだ)   で充満していた。

各艇はこれらに猛攻撃を加え、

更に天河口、硫安工場付近の野砲陣地その他の抵抗を排除しつつ前進し、

先頭の保津、勢多は 15:40、主隊は 17:00 南京に突入した。

第一掃海隊は南京到着後直ちに泊地を掃海し、また浦口桟橋を確保した。



児島襄著   『日中戦争4』   222〜223p

《   −   正午、

烏龍山沖の閉塞戦を除去した海軍第十一戦隊司令近藤英次郎少将は、

南京への前進を下令した。

戦隊が縦陣列ですすむにつれ、江岸と江上は脱出をいそぐ中国側の筏、

小舟、さらに泳ぐ人馬で満ちあふれていた。

各艦は砲、機銃で   「猛攻撃」   を加え、

さらに左右岸の中国軍陣地を銃砲撃しながら、下関埠頭をめざした。

・・・

艦の横を掃蕩された中国兵の死体が流れすぎ、

中には太い一本の竹にすがる中国兵が波におされて近づいてきた。

「ニイ、来々……」

水兵が片言の中国語で呼びかけ、手をさしのべる仕ぐさをみせたが、

中国兵は頭を左右にふり、光る眼で艦を注視しながら流れて行き、

後続艦の機銃掃射をうけて水没した。》



*   ここでは、 「江上、江岸は敗走する敵大部隊、舟艇、筏 (いかだ) で充満

   していた。各艇はこれらに猛攻撃を加え」   とあるが、どこまで本当だろうか?


   前夜、南京城内から脱出しようとした連中は、船がなく、城内に戻った。

   幕府山から烏龍山の間は第2軍が全員渡河したので、もう船はないだろう。

   午前10時ころには下関は佐々木支隊によって占領されている。

   海軍が閉塞線から、進発するのが 13:30 、海軍が通るころに、

   敵大部隊がどうやって渡河できる?

   江上にあるのは、下関から流れてくる漂流者や死体では。

   海軍は、これを銃撃して、手柄にしていないか?



   陸軍佐々木支隊も同じ漂流死体に銃弾を浴びせて手柄にしているだろう。

   海軍も同じ漂流死体に銃弾を浴びせて手柄にしている筈。

   その前に南京の南西部で第6師団が攻撃しているが。

   これらの戦果は三重に重複していないか。


   しかして、これらの漂流死体を作ったのは、主に、中国軍の同仕打ち。

   南京南西部の戦いのみ日本軍が関与。


   何も知らない、善人心の日本人は、これらの記録を見て日本軍の大虐殺と思いこむ。
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