1937年12月13日のラーベの日記1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/28 18:42 投稿番号: [1928 / 2250]
十二月十三日
《 日本軍は昨夜、いくつかの城門を占領したが、まだ内部には踏み込んでいない。
本部に着くとすぐ、我々はたちどころに国際赤十字協会をつくりあげ、
私が役員として加わった。ここしばらくこの件を担当していた盟友マギーが会長だ。
委員会のメンバー三人で野戦病院に行く。
それぞれ外交部・軍政部・鉄道部のなかにつくられていた。
行ってみてその悲惨な状態がよくわかった。
砲撃が激しくなったときに医者も看護人も患者をほうりだして逃げてしまったのだ。
我々はその人たちを大ぜい呼び戻した。
急ごしらえの大きな赤十字の旗が外交部内の病院の上にはためくのを見て、
みな再び勇気をとりもどした。
外交部にいく道ばたには、死体やけが人がいっしょくたになって横たわっている。
庭園はまるで中山路なみだ。一面、投げ捨てられた軍服や武器で覆われている。
入り口には手押し車があり、原形をとどめていない塊が乗っていた。
見たところ遺体にみえたが、ふいに足が動いた。まだ生きているのだ。
我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。
手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。
上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。》
(この後、日本軍との遭遇が出てくるが、それは、日本軍突入の後に続ける)
町を見まわってはじめて被害の大きさがよくわかった。
百から二百メートルおきに死体が転がっている。
調べてみると、市民の死体は背中を射たれていた。
多分逃げようとして後ろから射たれたのだろう。》
*
ここまでは極端な問題はない。
ただ、道路の死体や惨状は中国兵による夜中の混乱で生じたもので、
日本軍はまだ関与していない。
「市民の死体は背中を射たれて」
とあるが、
これらの死体は、基本的に、前日夜にできたもので、
この
「市民」
なるものが本当の市民なのか、
軍服を脱いで
「市民」
に化けた中国兵なのか判らない。
しかし、前後の事実関係を知らずして、ラーベの日記をこの後続けて読むと、
日本軍がやったかのように勘違いさせられる。
つづく
これは メッセージ 1900 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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