1939年 晴気氏 日本側条件を提示
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/12 18:46 投稿番号: [1891 / 2250]
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
69〜71p
《 翌日も暖かい、よい天気だった。
知らぬうちに大陸の風景もすっかり春めいて、
路傍の楊柳は淡い緑の糸を長々と垂らし、
市場に青々とした野菜をはだしで運ぶ農夫の足どりも軽々とはずんで、
いかにも楽しそうであった。
私は起きぬけに新公園の上海神社に参拝して特工の成功を祈願した。
そうして宿舎に帰り、朝食をすませたところへ、丁黙邨と李士群がもう訪ねてきた。
丁黙邨はすっかり元気を回復して
「病は気からだ」
と笑い、
「妻からのお礼です」
といいながら中国風のうまそうな菓子を差し出した。
「昨日はありがとう。もう大丈夫です。ご心配かけてすみません」
彼は姿勢をあらため、丁寧にこう礼をいって、
しばらくうつむいていたが、やがてやせ衰えた青い手を静かに差し出した。
「東京から南京までも、遠い所をひきつづきご苦労をかけました。
いろいろのご尽力をありがたくお礼申し上げます。
おかげさまで私たちも素志を遂げることができます。
こんな嬉しいことはありません。感謝感激の至りです」
理性の人、丁黙邨は冷厳というか、
ある程度以上は腹の中を決して人に見せない男だった。
だが特工を日本が援助すると知ったときは、さすがの彼も自制を失ったらしかった。
彼は嬉しさにこぼれる涙をそのままに、私の両手を握ったまま声をあげて泣いた。
「ハルケサン、カンシャシマス。アリガト」
李士群はひどく感激すると、まずい日本語を思わずとび出させるのが癖らしかった。
彼もまた涙を浮かべて手を差しのべた。
こうして六本の手はしっかりと堅く握り合って、
永久に離れまいと久遠の友情を誓ったのだった。
丁黙邨の健康が意外に早く回復したことは私の心を楽しませたが、
望蜀の念やみ難く、今日中に工作の輪郭を決めたいと思った。
そこで私はうわべはおもむろに、心はせっかちに話を進めた。
「昨日もちょっと報告しましたが、東京でも南京でも好都合に相談できました。
ついては、まず次の条件を承諾してもらいたいと思います。
第一は特工は工部局と摩擦しないように、まず租界で中国人だけで行うことです。
日本人は工作の実行には干与しません。
上海のテロが収まったら工作を租界外にのばすことも考えましょう。
つぎは、
日本と関係がある中国人に工作するときは、その前に私まで通知してもらうこと、
それからまた汪先生が上海で和平運動をはじめたら、
それに合流することを約束して頂きたい」
私は彼らがこれらの希望を受け入れてくれるように願いながら、
表面は冷然として、さりげなくこういい放った。》
つづく
これは メッセージ 1888 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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