入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1937年12月12日 地獄絵の南京城内1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/13 18:31 投稿番号: [1892 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   216〜217p


《 首都衛戍司令官唐生智が、首都放棄命令をだす前から、

城内には城外からの敗兵の流入がめだち、

逃散にそなえて食糧を確保すべく食料品店をおそう中国兵がふえていた。

揚子江を背にして包囲された南京では、容易に想いうかぶ脱出点は

下関   (シャーカン)   埠頭である。



退却命令が発出される数時間前から、

すでに隊伍をくんで下関にむかう中国兵の姿がみられた。

中山路にはいると次々に武器をすて、街路は小銃、手榴弾、銃剣、背嚢、

さらには機銃、火砲、乗用車、トラック、荷馬車でおおわれた。



後続する兵は、それら兵器を路の両側に蹴り寄せ、

その上に自分の武器をほうり投げ、動かぬ車輌には放火した。

ほとんどの兵が軍服をぬいで便衣に着がえ、便衣を持たぬ者は、

避難をいそぐ市民の衣服をはぎとり、中にはハダカのまま走りだす兵もいた。》



程奎朗参謀の回想、 『南京戦史資料集Ⅱ』   から。


《 中山北路の海軍部の前に行くと、

第三六師の部隊がいて道路上に機関銃を置いて交通を封鎖し、

南から来る部隊の通過を許さない。(略)

中山北路上に、車輌や部隊が一杯になって潮のようにユウ江門に殺到し、

城を出る人たちは先を争い、前に押し後に引き、ある者は踏み倒され、

おじいさん、おばあさんと叫ぶ。



第三六師の歩哨は城門の胸墻   (きょうしょう)   上に機関銃を置き、

大声で 〝押すな、押すと射つぞ!〟 と叫ぶが、人々は依然押し合っていた。》

(東中野修道著『南京大虐殺の徹底検証』81p)



東中野修道著   『南京大虐殺の徹底検証』   82p


《 ダーディンは昭和六十二年に、・・・語った。

『南京事件資料集①アメリカ関係資料編』   によれば、

脱出せんとする支那兵がユウ江門で衝突し合った。

そして   「踏みつけ」   あって、死骸の山ができた。


同じくスティールも、大勢の兵士がユウ江門から脱出しようとして

「圧死」   したと、昭和六十一年に初めて真相を語った。》


つづく
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