入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1939年 晴気氏 丁黙邨を見舞う

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/11 18:47 投稿番号: [1888 / 2250]
晴気慶胤著   『上海テロ工作76号』   毎日新聞社
66〜68p


《 上海では、丁黙邨は大西路の李士群の邸を出て、

日本憲兵隊本部のそばの新亜ホテルに泊まっていた。

持病の胸の病が悪化して喀血したそうで、

二、三日前からここに療養にきていたのだった。・・・



丁黙邨は寝床の中で、駅から駆けつけた旅行姿の私を見出して、

物もいわずに飛び起きた。そして   「失礼」   といいながら、

ゆったりとした中国服をパジャマの上から急いで羽織ったが、

足もとがよろめいて痛々しく、熱は三十八度を超していた。

それでも無理につくった笑顔で   「もう大丈夫です」   と微笑んでみせた。



「ご苦労さまでした。いつ東京からお帰りでした。例の話はどうなりました?」

はげしい気性をむき出しにした丁黙邨の矢つぎ早やの質問だった。



彼は十日近くも私から音信がないので、

東京での折衝もきっと不首尾だったと独りで決めてイライラした揚句、

病をこじらせたのだった。

林少佐から病状をあらかじめ聞いて油断できないと思った私は、

工作を急いで彼の病を重くしたくはなかったが、

それほどまでに吉左右を待ち焦がれてくれたか、とあわれにも思われたので、

彼を慰めがてらこういった。



「いや、いったん南京に立ち寄ってきたのです。 例の件は万事うまくゆきましたよ。

それより病気はどうです。よい専門の医者をさっそく呼びましょう」

丁黙邨とはまだそれほど深いつき合いもなく、ただ二、三度話をしただけだったのに、

どうしてそんな純な気持ちになれたのか自分ながらわからないが、

そのときはともかくも工作を忘れて彼の健康だけをひたすら気づかっていた。



簡単な言葉だったが   「うまくいった」   と聞かされて丁黙邨も、

さぞや安心しただろう。

しかし、私は病苦と喜びでゆがんだ彼の表情を

なんとはなしに見るに忍びないような気がして、

彼にはわざと目をくれないで懇意な医者へダイヤルを回した。

そして回しながら早口でいった。



「それから李さん。日本軍管理の家屋のなかで、

特工の根城に都合のよい家を探して下さい。

え、え、そうです。イタリア軍警備区域がよいでしょう、至急ですよ」

先ほどの報告では、

短すぎて丁黙邨を十分安心させるにはまだ足りなかったような気がして、

日本側では特工用の家を準備するまでにもう進行していると、

それとなくにおわせて、彼を喜ばせたいだけの、

いわずもがなの蛇足をこうつけ足したのである。



電話では医者はすぐに伺うといった。

電話の後ろでは、狂喜した丁黙邨と李士群が抱き合って喜びに泣きぬれていた。

私は二人をかきわけて、丁黙邨をそのまま、わざと邪険に寝台に押しこんだ。

けれど彼の瞳は、先ほどまではあんなにもトゲトゲとして冷たかったのに、

今では涙にうるんで感謝にあたたかく輝いていた。

医者は大して心配することもないといった。

私もやっと安心して、工作については追ってくわしく相談しようと

明日を約束して、ひとまず宿舎に帰った。



宿舎には二つの電報が待っていた。

一つは土肥原中将から、すぐ北京に来るようにいってきたもので、

もう一通には 「三月分の特工援助費は本日電送した。兵器は近く空輸する。

切に成功を祈る。軍務局長」   という文字が躍っていた。

中央部の手厚い処置にも驚くが、影佐大佐が示してくれた好意には

感激し奮起しないではおられない。

この上は特工を必ず成功させるために、丁黙邨たちと命がけで取り組むほかに途はない。

しかし、土肥原機関の痛ましい最後を思えば、

特工に挺身しようと意気込むのもおもはゆくて、

せっかくの決心も、たちまち衰えしぼむような気がしてならなかった。》


つづく
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