1937年12月11日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/30 18:27 投稿番号: [1863 / 2250]
《
十二月十一日
八時
水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。
ときおり、いくらか静まる。次の攻撃にそなえているのだ。
どうやらこれがうちの
「ペーター」
のお気に召したらしい。
さっきから声を限りに合奏している。
からす
(ラーベ)
よりカナリアのほうが神経が太いようだ!
爆音をものともせず、道には人があふれている。
この私より
「安全区
(セーフティ・ゾーン)」
を信頼しているのだ。
ここはとっくにセーフでもなんでもないのだが。
いまだに武装した兵士たちが居すわっているのだから。
いくら追い出そうとしてもむだだった。
これでは、安全区は非武装だと日本軍に知らせたくともできないじゃないか。
九時
ついに安全区に榴弾が落ちた。福昌飯店
(ヘンペル・ホテル)
の前と後ろだ。
十二人の死者とおよそ十二人の負傷者。
このホテルを管理しているシュペアリングが、ガラスの破片で軽いけが。
ホテルの前にとまっていた車が二台炎上。さらにもう一発、榴弾
(こんどは中学校)。
死者十三人。軍隊が出て行かないという苦情があとをたたない。
鼓楼病院の前に − ということは安全区側だ − 砦が築かれることになった。
だがこれを命じられた中国軍の将校は、通りの向こう側で作業するのを断ってきた。
事態を丸く収めようと、私はマギー牧師と一緒にその将校に会いに行くことにした。
山西路広場
(バイエルン広場)
を通りかかったとき、
広場の真ん中で兵士たちが穴を掘って隠れているのをみつけた。
角の家は軒並み兵士たちにこじ開けられている。
目の前で次々とガラスや扉が壊されている。なぜそんなことをするのだろう?
だれに聞いても、わからない、という!
けが人がひっきりなしに中山路に運ばれて行く。
砂袋、引き倒した木、有刺鉄線の柵でバリケードを作っているが、
こんなもの、戦車がくればひとたまりもないだろう。
鼓楼病院の前で例の将校に砦を築くように頼んだが、
相手はおだやかな物腰ながら断固拒否した。
病院から龍に電話で報告すると、さっそく唐将軍に問い合わせるとの返事。
十八時
記者会見。出席者は、報道陣のほかは委員会のメンバーのみ。
ほかの人はジャーディン社の船かアメリカの砲艦パナイで発ったのだ。》
つづく
これは メッセージ 1855 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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