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1938年12月26日 蒋介石の反応

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/08 18:45 投稿番号: [1819 / 2250]
児島襄著   『日中戦争5』
188〜189p


《 だが、この近衛声明にたいして、汪兆銘は即座には呼応せず、

蒋介石のほうが、先きに反応を示した。



蒋介石は、西安の軍事会議が終了した翌日、十二月二十四日、重慶に帰った。

ただちに   「党政首長会議」   を招集して汪兆銘問題を討議したが、

蒋介石は、むしろ   「懐柔策」   を採用することにした。


「彼雖蓄意加害於余、而余仍応以善意救彼、対於此種愚詐之徒、只有可憐可痛而已」


蒋介石はそう記述しているが、そのような寛容心とは別に、

汪兆銘を日本側に走らせぬようにするのが当面の得策と判断される。

そうすれば、近衛声明が期待する   「同憂具眼ノ士」   は登場せず、

日本の工作は空中分解するはずだからである。



この夜、午後九時ごろ、蒋介石の顧問W・ドナルドは、英米大使館に電話して、

汪兆銘の言動はいっさい国民政府を代表するものではない、と通告した。

米参事官   W・ペックは、汪兆銘は行政院長孔祥熙との意見対立が原因で

ハノイに出奔した、しかし、間もなく重慶に帰ってくる、

との噂が街に流れている、と、本国に報告している。



蒋介石は、十二月二十六日、近衛声明は、

「為敵国妄図呑滅中国、独覇東亜、征服世界的総自白」   だと反駁したが、

翌日、次のように雲南省主席龍雲に電報した。

「近衛二十二日之所以発言者、全為対汪之討価、彼竟不察、而自上其当、

幸此時猶未失足、尚可為之挽救也」



そして、蒋介石は、香港の   『大公報』   主筆張季鷲にも電報をおくった。

   「希対汪兆銘之有関輿論、寛留余地」

そのあと、蒋介石は、汪兆銘ととくに親交が深い交通部次長彭学佩をまねき、

   「駐港不如赴欧」

と、汪兆銘に打電するよう、指示した。

香港にむかうよりもヨーロッパに外遊したほうがよい、と勧告したわけであり、

次長彭学佩は、蒋介石の   「寛大な心」   に感動した、という。



この夜、 「中央通訊」   社は、蒋介石の前日の近衛声明反駁演説を

つたえるとともに、次のような蒋介石の談話を報道した。

「汪先生は、病気療養のためにハノイに出かけたもので、日本またはドイツで

噂されているように、国民政府を代表して日本と和平交渉をするためではない。

汪先生の旅行は、国民政府とも国民党とも、なんの関係もない。



汪先生が国家の政策について独自の見解をもっているなら、

速かに帰還して政府、党の幹部と討議されんことを、希望している」》
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