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1938年12月19日 汪兆銘 重慶脱出

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/06 18:36 投稿番号: [1815 / 2250]
児島襄著   『日中戦争5』   文春文庫
185p


《   十二月十三日   −

焦慮にかられて上海から香港に出かけた今井中佐に、

汪兆銘の重慶   「脱出」   は十八日にきまった、と、元亜州司長高宗武が告げた。

中佐は東京に報告しながら、不安をおさえきれなかったが、こんどは、確実であった。



汪兆銘の重慶出発日には、十八日、十九日の両説があるが、

蒋介石政治顧問W・ドナルドによれば、汪兆銘は十八日夜、

蒋介石に成都に講演に行くと語り、十九日朝、まず昆明にとんだ。

夫人陳壁君、息子孟晋、娘文煌とその夫・何文傑、四川省党務委員陳公博、

中央立法委員林柏生、芸文社主任陶希聖、中央候補執行委員曾仲鳴らが、同行した。

昆明には、先発していた中央宣伝部長周仏海が待っていた。



雲南省主席龍雲も出迎え、汪兆銘は、日本との和平交渉のために香港にむかうといい、

「挙事」   の協力をもとめた。

だが、 「同志の盟約」   をむすんだはずの主席龍雲は、首を横にふったらしい。

「汪潜抵昆明之際、初欲煽動龍雲及張発奎等叛変、然後勾引四川軍人響応、

因龍、張不為所動、並表示効忠政府」

と、蒋介石も記述している。



もっとも、主席龍雲は、汪兆銘一行を阻止することはせず、

また重慶への連絡もあとまわしにすると約束した。

そして、主席龍雲は一行のために旅客機を調達し、

汪兆銘は、十二月二十日、昆明をはなれてハノイに到着した。》
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