入って中国人に南京事件真相議論しましょう

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

1938年11月13日 長沙焚上

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/26 18:49 投稿番号: [1792 / 2250]
趙無眠著   『日中戦争中国も同罪だ』   文藝春秋   2006年11月号


《〈 一九三八年十一月十二日午前二時、湖南省政府は

日本軍が近づいてきているとの情報   (事後にこれが誤りであったと知る)   に接し、

かねてから決めていたように   「焦土抗戦」   に打って出て、

長沙の街に自ら火を放ったのだった。

省の警備団が動員され、街を焼く命令に従ったのだが、彼らは石油、灯油、

綿花、木炭、爆薬、手榴弾を使い、門を閉じたまま焼き払ったのである。



もちろん、事前の通知などなく、民家の住人たちは深い眠りの中で、

目覚めると同時に火の海の中にたたきこまれた。

そしてほとんどの者が生きたまま焼かれ、また窒息死し、

ある者は水に飛び込んだまま茹でられてしまった。

やっと家の中から飛び出した者も、

狂ったように逃げる人の波に踏みつけられて圧死し、

河で溺死するという悶絶死をとげたのである。



この火事は結局、三日三晩、街を焼き尽くし、

千年の歴史を有する名だたる都市をただのガラクタに変えてしまった。

後の統計によれば、この火事による死者は約二万人とされたが、

ここには外地から来ていた難民や傷病兵などは含まれていない。


文物の損害は計り知れず、宋、明、清、それぞれの時代の図書や

貴重な文書、名画や書がすべて灰となってしまった。

そのなかには漢代の貴重な印鑑が含まれていたが、

それらはすべてがただの鉄と銅の塊となってしまった。



さらにいえば、米どころとして名高い長沙の収穫米も

二百万担   (一担=五十キログラム)   が焼かれてしまい、

中国で四大刺繍の一つに数えられる湖南刺繍も、

代々伝えられた優れた構図やデザインなどがすべて失われてしまった。

このときから中国の刺繍業界は目に見えて失速していくのである。〉



〈 日本〝鬼子〟が   「三光政策」   を採用し、軍隊が中国国内の村々を焼いたことを、

われわれが恨み、厳しく責めたてるのは当然だが、

はたして彼らの行動は長沙の大火事と比べて、

それ以上のものだったのだろうか?〉》



*   著者は、長沙だけが焼かれたかの如く、思っているが、そうではない。

   中国軍はあちこちで、同じことをしているのだ。

   日本軍が広東に近づいたときも、略奪した後、街を焼き払っている。

   著者は中国人だから、「三光政策」   と言わざるを得ないのだろうが、

   日本軍が近づく前に、中国軍が先にやっている。



   長沙が問題になったのは、

   略奪し焼き払ったのに、日本軍が来なかったから。

   これでは、日本軍のせいにできない。

   だから、問題なった。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)