1938年9月5日 松本氏、徐新六の死を知る
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/03 18:44 投稿番号: [1746 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
312〜313p
《 九月五日、高君から、朝めしに来てくれという電話があったので、
行ってみると、高君は、だいぶん元気になったようだ。
いっしょに、ゼラチンの入った中国風の朝粥を食べた。
結核にはゼラチンがいいとの説明も用いた。
私は、梅岩との会談内容の要点を、高君に話した。
高君は、梅君からその都度連絡があったらしく、だいたいは承知していて、
高君も、やっと和平運動の首班は汪兆銘に決めたという決意を話した。
ただ、 「蒋・汪両者の将来の関係は、なお熟考を要するが、これは私の責任だ」
といっていた。
話が一段落したとき、突然、周作民が現れた。
私がそこにいたので周作民も驚いたようだったが、
久しぶりで、私に会って喜んでいた。
しかし、周作民は、高君と私とに、
「新六が死んだんだよ。今、号外で、今朝、日本の海軍機が、
新六の乗っていた重慶行きの民間の飛行機を撃ち、
飛行機は不時着で、乗客九名中六名は焼死体となり、
あと三名は重軽傷だという話だ」
という。
私が
「徐新六さんがその三名の中にあればよいがね」
というと、
高君は、 「新六は、必ず死んでいるよ。
エンジンが焼けたときなんか、新六は、他の乗客に
『どうぞおさきへ』
などといって、自分は最後に機体から出ようとしたが、
すでに機体に火が廻っていたに違いない」
といった。
三人暗然として、新六のため祈る気持が一杯で、みんな黙ってしまった。
しばらくすると、高君が、
「シゲちゃん、新六も作民も、みんな和平運動の有力な後援者なのだよ」
といった。
私は、 「昨秋中、定期的に会って話をしていたのは、新六だけだったのに」
と繰り言をもらした。
それには、周作民も高君も、また驚いたようであった。
私は、周さんと高君と話があるのだと推測して、
「宗武、からだを大切にね」
と、顔をじっと見ながらいった。
高君は、 「シゲちゃん、もう大丈夫だよ、新六は亡くなったが、
これからは、僕も働かなくては」
と張り切っていた。》
これは メッセージ 1742 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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