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1937年11月 制令線の撤廃論議1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/29 18:35 投稿番号: [1737 / 2250]
第十軍が杭州湾に上陸し、

第16師団が11月13日に、揚子江の白茆口に上陸してから、

中国軍は完全に退却を始めました。

現在の我々なら、 「よかった、敵が逃げた。戦わなくて済む」   となるですが、

第十軍の上層部は不満だったようです。



児島襄著   『日中戦争4』   161pには


《「上海決戦」   が不発に終り、

期待した   「剿滅戦」   は   「撃退戦」   でしかなく、

しかも、中国軍の雪崩れ風の退却ぶりをみると、もはや

「中支那方面ニ於テ   敵軍主力ヲ捕捉殲滅   スルノ機会ハ   逸シ去リタルモノ」

と、判定されるからであった。



いわば、第十軍の主目標は失われたわけである。

第十軍は、だから、新目標として首都南京をえらび、その占領によって

中国側に   「政戦両略上ノ打撃」   をあたえよう、と決心する。》



とあります。しかし、参謀本部が蘇州 − 嘉興ノ線までという制限を設けています。

これでは、面白くないから、制令線をはずしてくれという話になるわけです。



戦史叢書   『支那事変   陸軍作戦1』   417pより


参謀本部作戦課では、十一月十五日、情勢判断を行い、

制令線を変える必要はないと判決しました。

しかし第一部長下村定少将は、


「この際、戦機をとらえて制令線をいっせいに今一押し出て強圧を加えたらどうか」   と

作戦課に研究を命じたのです。

結局、河辺作戦課長が上海に赴き、現地の実情を確かめてからとなりました。



児島襄著   『日中戦争』   161〜162p


《上海では、中支那方面軍司令官松井大将、参謀長塚田少将、参謀副長武藤大佐の

いずれもが上海派遣軍の疲労を指摘し、ひきつづいての進撃作戦は困難だ、

と説明・・・だが、第十軍はまだ疲れていない。

・・・

第十軍もふくめて中支那方面軍が制令線内で日をすごしたら、どうなるか。

北支那方面軍も、ようやく太原を攻略 (十一月八日) したが、

待機の態勢をとっている。全日本軍が腰をすえるのは、

そのまま中国軍に戦力回復の時間を贈与するだけではないのか。・・・



つづく
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