1937年 体験談2 唐子浜で捕らえた姑娘1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/23 15:15 投稿番号: [1725 / 2250]
東中野修道
編著
『1937南京攻略戦の真実』
小学館文庫
190〜191p
唐子浜で捕らえた姑娘
(クーニャン) −
歩兵第十三連隊
(熊本)
第十一中隊
歩兵曹長
K・S
《 日軍百万上陸のアドバルンが、内地のような感じのする空に揚げられて、
まず敵胆を寒からしめて二日目、
雨にたたかれ、ぐいぐいと肩に食いこむ装具に喘
(あえ)
ぎ、
泥濘
(ぬかるみ)
に膝
(ひざ)
を没し、倒れたりして、
泥人形よろしく金山衛を通り、唐子浜で露営することになりました。
私は半張りの破れかかった軍靴をどたばた言わせつつ、道路の警戒を命ぜられ、
部落の端に行き、何か言いたそうな兵隊の顔を無視して、
わざと命令的に警戒区署を定めていた。
実は私も泣きたいくらいでした。そのときのことです。
特に監視すべき方向はこの方向と道路上を指すと、
指したところに忽然
(こつぜん)
と姑娘が現れて、
窈窕
(ようちょう)
たる姿態が楚々
(そそ)
として、
この方にくるじゃありませんか。
誰だって面喰
(めんくら)
います。
付近は敗残兵も正規軍も、うようよしている。
そこを敵の方からくるんです。〝こやつ、てっきり〇〇〇だ〟
素早く区署を済まし、泥人形は遮蔽
(しゃへい)
には持ってこいと伏せておりました。
身近にきて、兼ねて手筈の通り、私が一人立ち上がって、
通せんぼをして誰何
(すいか)
しますと、
一寸たじろいだ風でしたが、
「日本の兵隊さんね」、流暢な日本語なんです。
また面喰った。兵隊もぞろぞろ集まってくる。
改めて面
(おもて)
を見ると、歳の頃二十七、八、戦禍に災いされたのか、
心持ち擦
(す)
れてはいるが、
明眸皓歯
(めいぼうこうし)
の部類に編入される代物なのです。
聞いて見ると、上海から逃げてきたけれど、皆殺されたり、はぐれたりして、
これは支那軍の方にいると危ないと思い、やってきたという。
「日本語はどこで覚えた」
と聞くと、
「長崎に四年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた」
と言います。
何はともあれ、まずこれへと、久し振りに柔らかい日本語を聞いた感傷も手伝って、
中隊長殿のところに連れて行きました。》
つづく
これは メッセージ 1723 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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