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1938年 張鼓峯事件と 辻正信

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/22 18:56 投稿番号: [1724 / 2250]
辻正信著   「ノモンハン秘史」   毎日ワンズ
60〜62p


《 昭和十三年の夏、傍受電は満鮮ソの国境に近い張鼓峰   (ちょうこほう)

付近において、ソ連軍の積極的企図を察知させる兆候を伝えた。


この地域は朝鮮軍司令官の防衛任務に含まれている。

他人の疝気   (せんき)   を頭痛に病むのではないが、

地続きの関東軍には放っておけない関係があった。

大越参謀と共に現地を確認する任務を受けて現場に急行した。

朝鮮軍守備隊がよい顔をしないのも当然である。



危険を冒しながら張鼓峰の斜面を登ると、霧で蔽われた山上には

ソ連兵のふるうシャベルの金属音が近くに聞こえる。

彼我の国境は高地の頂上を通過しているが、最高同点を占領し、

満領内の斜面にも溢れ出ていることは疑う余地がない。



しかし、防衛任務を持たない関東軍としては、それ以上の行動は許されない。

見たままの状況を中央部と朝鮮軍に知らせて成り行きを見守っていた。

これほど明瞭な侵犯を、そのまま頬被りすることは、東京もできなかったのだろう。

間もなく、敵を撃攘   (げきじょう)   して国境線を確保する命令が朝鮮軍に下った。



北朝鮮駐屯の第十九師団が応急動員で戦場に駆けつけ、押   (お)   ッ取り刀で

戦線に逐次加入したものの、準備を整え制高の利に拠って待つ

ソ連軍を駆逐するのは容易な業   (わざ)   ではなかった。

約二週間にわたる苦戦で双方共に相当の死傷を生じたが、

戦車と空軍と重砲を惜しみなく注入する敵の強襲で、戦いはいつ果てるとも見えなかった。



この上は関東軍の主力を以て、南下するソ連軍の側面を脅威し、

牽制するほかに良策はない。

植田将軍は東部正面の全軍に応急派兵を下令し、

主力を東寧、綏芬河正面に推進し、いつでも変に応じ得る態勢を整えた。

師団長も兵も天幕内に待機して、進撃命令を待ちながら戦闘訓練に熱中した。



北朝鮮の鉄道要点をソ連機に爆撃せられながらも、我が飛行隊の行動は、

厳しく制限されて戦わねばならぬ。朝鮮軍の苦悩は、察するに余りある。

脚を縛られて喧嘩するような戦いに勝味のあるはずはない。



拡大を望まないのは双方の意志であり、モスクワの交渉開始から停戦命令が

両軍に伝えられ、不首尾の結果を以て局を結んだ。

千数百の死傷者を出した戦場の跡には、依然としてソ連軍が

不法越境の既成事実を確保している。確かに我が負けである。



善後処置として、琿春一帯の防衛任務を関東軍司令官に一任せられ、

朝鮮軍は朝鮮内のみの防衛に切り換えられたのはその翌春であった。



*   辻正信は   「間もなく、敵を撃攘   (げきじょう)   して国境線を確保する

   命令が朝鮮軍に下った。」   と言っているが、彼は真実を知らなかった。
  


   天皇がダメだと言っているのに、勝手に攻撃したのだ。

   起こった事は仕方ないから、承認されたが、積極的攻撃は、

   どんなに悲惨な結果になっても、許可されなかった。
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