1937年 焼却・皆殺し命令は本当か?
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/21 18:51 投稿番号: [1721 / 2250]
秦郁彦著
『南京事件』
71pに、宮下手記として
《「わが柳川兵団は上陸後、(1) 民家を発見したら全部焼却すること、
(2) 老若男女を問わず人間を見たら射殺せよ」との命令を受けた》
というのがあります。また
《 第6師団歩45連隊長だった竹下義晴氏が、火の始末を注意した所、
部下の大隊長から 「中支を全部焼き払えと軍司令官が言っているのを
新連隊長は知らないのですか」 と反問された》
という話も載っています。
さて、では、こんな命令は本当にあったのでしょうか?
少なくとも、参謀本部は出ていないようです。
杭州湾上陸作戦の出陣の前に、逆の命令を出していますから。
「1660 第十軍への命令と注意」 参照
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=1660
また、児島襄著 『日中戦争4』 162pには
《 司令官柳川中将は、独断進撃を発起するにあたって、とくに、この日、
次のような訓示を下達した。
「……窃 (ひそか) ニ聞ク所ニ拠レバ、 最モ忌ムベキ婦女暴行、
金品強奪ノ犯行二、三ニ止マラズト謂 (い) フ。
斯 (かく) テハ集団ノ戦績ヲ汚辱シ、 皇軍ノ威武ヲ涜 (けが) スモノニシテ、
寔 (まこと) ニ痛嘆ニ堪ヘズ。
隷下将兵克 (よ) ク自省自戒シ、 軍紀厳正益々士気ヲ振起シ、
各々其ノ任務ニ邁進スベシ」》
とあり、皇軍の名誉を汚すなと訓示しています。尚、児島氏は、この続きに
《 実際には、その種の非行例は数件にとどまっていたが、
実直な性格の柳川中将としては、一例もみすごす気にはなれず、
全軍に戒言したのである。》
と補足しています。
略奪、婦女暴行すら戒めている人が、「皆殺し・焼却命令」を出すでしょうか?
当時の第6師団に従軍していた、毎日新聞の五島広作記者の証言を見てみましょう。
阿羅健一著 『「南京事件」 日本人48人の証言』 小学館文庫 60〜61p
《 五島氏は当時、大阪毎日新聞 (現在の毎日新聞) の記者として熊本支局に
勤めており、第六師団の北支派遣とともに第六師団に従軍することになった。
だから第六師団の従軍記者であり、南京攻略戦だけでなく、
北支の保定・正定戦、さらに杭州湾上陸作戦にも従軍している。
― 五島さんは第六師団のどの辺で従軍取材していましたか。
「いつも師団司令部にいました。北支に行く時から一緒だったので、
谷師団長にかわいがられまして、作戦会議もみておけ、と
谷中将の命令で藤原武参謀が呼びにくることもありました」
― 崑山前後、軍の方から、中国人は女・子供にかかわらずすべて殺すべし、
という命令があったといいますが……。
「そんなことはありません。私は師団の司令部にいて、
師団長と行動を共にすることが多かったのですが、聞いたことはありません。
東京裁判があってからの作り話ではないでしょうか」
― 第六師団は北支で感状をもらってないから、
中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。
「はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています」》
と言っています。
どうも、第六師団長もそのような命令は出していないようです。
次は、杭州湾上陸時の兵隊たちの体験談です。
《「わが柳川兵団は上陸後、(1) 民家を発見したら全部焼却すること、
(2) 老若男女を問わず人間を見たら射殺せよ」との命令を受けた》
というのがあります。また
《 第6師団歩45連隊長だった竹下義晴氏が、火の始末を注意した所、
部下の大隊長から 「中支を全部焼き払えと軍司令官が言っているのを
新連隊長は知らないのですか」 と反問された》
という話も載っています。
さて、では、こんな命令は本当にあったのでしょうか?
少なくとも、参謀本部は出ていないようです。
杭州湾上陸作戦の出陣の前に、逆の命令を出していますから。
「1660 第十軍への命令と注意」 参照
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=1660
また、児島襄著 『日中戦争4』 162pには
《 司令官柳川中将は、独断進撃を発起するにあたって、とくに、この日、
次のような訓示を下達した。
「……窃 (ひそか) ニ聞ク所ニ拠レバ、 最モ忌ムベキ婦女暴行、
金品強奪ノ犯行二、三ニ止マラズト謂 (い) フ。
斯 (かく) テハ集団ノ戦績ヲ汚辱シ、 皇軍ノ威武ヲ涜 (けが) スモノニシテ、
寔 (まこと) ニ痛嘆ニ堪ヘズ。
隷下将兵克 (よ) ク自省自戒シ、 軍紀厳正益々士気ヲ振起シ、
各々其ノ任務ニ邁進スベシ」》
とあり、皇軍の名誉を汚すなと訓示しています。尚、児島氏は、この続きに
《 実際には、その種の非行例は数件にとどまっていたが、
実直な性格の柳川中将としては、一例もみすごす気にはなれず、
全軍に戒言したのである。》
と補足しています。
略奪、婦女暴行すら戒めている人が、「皆殺し・焼却命令」を出すでしょうか?
当時の第6師団に従軍していた、毎日新聞の五島広作記者の証言を見てみましょう。
阿羅健一著 『「南京事件」 日本人48人の証言』 小学館文庫 60〜61p
《 五島氏は当時、大阪毎日新聞 (現在の毎日新聞) の記者として熊本支局に
勤めており、第六師団の北支派遣とともに第六師団に従軍することになった。
だから第六師団の従軍記者であり、南京攻略戦だけでなく、
北支の保定・正定戦、さらに杭州湾上陸作戦にも従軍している。
― 五島さんは第六師団のどの辺で従軍取材していましたか。
「いつも師団司令部にいました。北支に行く時から一緒だったので、
谷師団長にかわいがられまして、作戦会議もみておけ、と
谷中将の命令で藤原武参謀が呼びにくることもありました」
― 崑山前後、軍の方から、中国人は女・子供にかかわらずすべて殺すべし、
という命令があったといいますが……。
「そんなことはありません。私は師団の司令部にいて、
師団長と行動を共にすることが多かったのですが、聞いたことはありません。
東京裁判があってからの作り話ではないでしょうか」
― 第六師団は北支で感状をもらってないから、
中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。
「はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています」》
と言っています。
どうも、第六師団長もそのような命令は出していないようです。
次は、杭州湾上陸時の兵隊たちの体験談です。
これは メッセージ 1697 (kir**gotowa**me さん)への返信です.